New's

TopPage

new,s のTopへ
New's−6

近畿・東海などで強い地震 【各種メディア】

2004/09/06(月)

平成16年9月5日午後11時57分頃、近畿・東海など広い範囲で強い地震がありました。地震の震源は東海道沖の海底で深さは約10km(後に41kmに訂正)。マグニチュードは7.4。一部の地域での震度は最大で震度5弱を記録しました。


この地震の約5時間前に紀伊半島沖を震源とする、マグニチュード6.8の地震があったので余震があるかも知れないと思い注意していたところグラグラと来た。不意打ち感はなかったが、4年前の鳥取県西部地震の時のようなユサユサとした船酔いしそうな振幅の揺れが1分近くも続いた。

揺れが止まったかなと思ってからも妙に目眩のような感覚がある。すぐに外へ出てカエルのように両手を地面に付けていると、5〜6秒でターンする南北方向の「ゆらぎ」が20秒近く続いていた。ゆっくりと大地全体が動く(10p〜15p程度の振幅で風景全体が動いている感じだった)ので地上の物がガタガタ揺れるわけではない。ただただ目眩のような感覚の「ゆらぎ」だった。6日後の9月11日に東大地震研究所が関東や大阪、濃尾平野など広域で、ゆっくりとした揺れが長く続く長周期地震動が起きていたと発表したので合点がいったのだが、とりもなおさず南の海底に在るもの凄いエネルギーを感じさせる恐ろしい「ゆらぎ」だった。

その後の数日は余震と見られる震度2〜3の有感地震が何度かあったこともあって、新聞やテレビではお馴染みの「専門家」が登場し、この度の地震についての色々な解説がなされていた。地震のメカニズムから防災対策はもちろん、地殻変動や地球の構造、果てはシャドーゾーン(地震波の影)まで、実に多彩な解説で面白い。人智ここに至れりの感もある。が、祭りの後の思い出話なら誰でもする。肝心なのは溜め込んだ知識や記録、そして分析結果等を活用し、不意打ちを防ぐことではないのか。

他の自然災害に比べ地震の恐ろしさは格別である。例えばゴジラも台風も恐ろしいが用意は出来る。しかし地震は突如として襲来し、1分後には百人単位で人命を奪い去って行くかも知れない怪物だ。そういう意味では、その恐ろしさの源泉は単に大地の揺れではなく、「突如として起こり、その程度も認識し得ない」ことにあるのではないだろうか。月へ行き火星にラジコンカーを送り込んでも、自分が立っている足元の怪物がいつ目覚めるのかさえ解らない。事後の解説も学問的な研究も無用だとは思わないが、地震の研究で最も重要なことは防災であり、事前にその発生を知ることは最高の防災手段なのだ。


この度の地震に関してテレビに登場した「専門家」たちの説明には、最近まで鳴り物入りで研究を続けてきたはずの、予知に関するものは殆んどなかった。研究者たちは地震予知に関しては無理だと断定してしまったのだろうか。現時点に於いて地震予知は非常に難しいとは聞いている。しかしどの程度の「難しさ」なのだろう。我々の持つ技術力は虫のように無力なのだろうか。心理的な、または防災行政上の難しさなのだろうか。

勿論わが国は微少なものを含めると一日に200〜300回の地震がある。身体に感じる地震はごくわずかなので、どこまで予知すれば良いのかという問題もある。また揺れる地域も強度も震源地やマグニチュードとは必ずしも比例しないことを含め「予知」には様々な問題がつきまとう。地震予知が出来ても、あまりの破壊力に為すすべが無く、絶望からパニック状態となるため敢えて予知はしない方が良いという者さえ居る。民衆はある意味愚かかも知れないが脅威を感じないで死んでいく方が幸せだというのなら、それはあまりに衆愚的発想に過ぎないか。

知人に聞いた話だが、平成7年1月の阪神大震災の後、地震から1時間も経たないうちに米国のシアトルにいる友人から「神戸は凄い被害らしいけど、大阪は大丈夫だったか」と言う電話が入ったというのである。ニュースはまったく入らず、何処が震源地だとか何処がどの程度の被害かなどとは何も分からなかった段階で、神戸が震源地であり、大きな被害が出ていることを地球の反対側のシアトルの人に教えてもらったという。そして、後日その友人に会う機会があり、そのことについて話した折り、彼は興味深いことを話していたという。

シアトルも環太平洋造山帯の一角に位置しているため地震が多い。シアトルという町自体が、被害を最小限に押さえるため、色々な工夫をしている。その一つに「地震予報」があるというのだ。予知が出来ればそれに越したことはないが、今は未だそれが不可能だ。でも地震は予知技術の確立を待ってくれるわけではない。当にこうしている今、ユサユサと揺れ始めてもおかしくない。それは事実上何の対策も立てずに、非常な危険に立ち向かうことを意味する。そこで事前に何かしらの警告を発せられないかという思いから、毎朝テレビで「地震予報」をしているというのである。

雲の形状。漁獲量や魚の種類の異変。野良猫や野鳥の様子。湧き水の量や色、その味。科学的にどうであれ、少しでも地震に関係があると思われる自然現象を対象として数字にし、我が国の天気予報のように「本日の地震の確率は○○パーセントです」と予報を出すという。天気予報で雨の確率が80パーセントと言われても、傘を持って出るか否かは各人の意志に任される。それと同じ感覚で、信じるか信じないかは各自の自由である。その予報が当たるかどうかは聞かなかったが、確率の高い日にはなるべく早く帰宅し、家族と過ごすなど、結構その日の行動の指針になっているらしい。小学校などはその日の確率により、校長の判断で休校とするところもあるという。

近年わが国の地震学界は、地震波を利用し地球内部のマントル深部を見る研究(地球をCTスキャンするようなものらしい)等を行っていると聞く。何だかもの凄い計画だなと思う。そんな研究者や専門家としては、何の関係もないような自然現象や迷信の如き古老の戯言を頼りに予報を出すというのは抵抗があるだろう。科学者ならずとも科学に傾倒する者としては大いに恥ずかしいことかも知れない。しかし、地震に関しては予知こそが最大の防災効果を上げるものであり、最も優先されるべきものだと思う。その予知が現時点で技術的に不可能というのであれば、非科学的な事象も含めた凡ての前兆現象かも知れないことを前向きにデータとして取り込み、予知技術を確立するまでの間、取り敢えず予報だけでも出せば良いではないか。学問研究を含む全ての人間の活動は「より良きを目指す」ものであると思う。「より良き」の各論に付いては異論紛々であろうが、安全は全てに優先すると信ずる。自らを科学者という金箔に包み込まず、なりふり構わず必死で唯一の安全という目的を追求して欲しい。この国の全ての人を科学に殉教させる必要はないのだ。


シアトルの防災担当者の努力。そして科学者、技術者の勇気に敬服の念をこめて・・・


前頁


new,s のTopへ