ハラキリさん
原田キリコさん、とか、原桐男とかそーいった人のアダナではなくてね。
2003/12/9未明、府中のとある所の自宅で、ハラ切って灯油ぶちまけて燃えていた男が発見された。もう、じいさんらしいんだが。
その下に住んでいる知り合いがやってきた。兄貴は警官であり署の方から状況検分を任せられ、寝起きの兄貴は、弟も連れていったようだ。
その弟の方がやってきた。
『たーいへん、たいへんたーいへんよう、もう、たーいへん』
あああああああ、これではまるでこないだの調布グリーン・ホールでの家元だ。『風呂敷』ね。
『ズベラバ、ベシャ、ぐっちゃりこん』
『あのネエ、ナニ言ってるのかサッパリワカラネエんだけど』
『いやいや、もう、たーいーへーん、ナンですよ』
『たーいーへーんーしか言えないのかよッ』
『てーへん、かける、高さ、割るにーっ』
『ちょっと学のある所をみせつけやがってこの野郎。ナニがどう大変ナンだよ』
『もう、たいへんなんすから』
『三平サンじゃネエんだよ。いいから言えよ』
『いやね、家のね、上に住んでる人が』
『おう、どした。ドッカンドッカン、うるせえ、ってのか?』
『イヤ、焼身自殺しちゃって』
『えええええー、大変だよ。オイ、お前の家、大丈夫なの?燃えちゃった?火事?火事?おいおい。バアーンと、燃えたの?』
『いや、大丈夫でした』
『ナァンだ』
『あ、ひどい。凄い残念そうな顔してましたよ今。ひでえなあ』
『火事というのは他人の家が燃えた時の事を言う』
人が自殺した所でナニも社会は変わらず、死んだもの損ナンだが、よくもまあ、死ぬ死ぬ。たまに殺されている。
自分の生活が立ち回らなくなって死んでいくのが多数ナンだがね。師走は、多いや。
『人に迷惑を掛けないで死んでいこう』
とかいう考えもワカルのだが(日本人だからね)、どうせ死ぬなら、ズドンのドカンでいってくれ。
今回は、おしむらくも、『自宅』というのがネックだ。
カネなんざNICOSが出すので、北朝鮮に行って、金日成の銅像の前でやっておくれ。
ふとした勢いで死にたくなるのはワカルが、駄ー目ーだろ、それじゃあ。
警察署の目の前でハラを切り、ズベラバと出た腸でナワ飛びをしつつ、『うははははははははははははははははははははは』などと警官に飛びついてその腸で首を絞め、用意してあったプラスチック爆弾でとかズドーンのドカーンとかやってくれなくちゃだわ。
そうしないと、ニュースとしては弱いンだな。『高齢者、また自殺』で終わっちゃう。ハラ切って焼身自殺しているにもかかわらず。身寄りもナイんだろうなあ。淋しい話だ。
線路への身投げとかビルからの飛び下りとかのニュースを聞くと『明日は我が身か』と思ってしまう感覚が昔からあって、落ち着かない。職人が身体を壊し働けなくなって自殺してしまったのはある意味『潔いな』とも思ってしまう感覚がある。『何もそこまでしなくても、生きていれば良いじゃネエか』家族としては当然そのような反応になるのだろうが本人にとっては、身体が言う事を聞かない、というのは屈辱以外の何物でもないので、まだ脳がしっかりしている内に自殺してしまう。屈辱と共に生きていく、という考えは、男には余り存在しない考えなのだが、どーでしょ、そこいら。屈託はあるけれど屈辱は、ちょっとネエ、という感覚。
辱めを受けて生きていく。生きている限り、それが続く。
ヤ、でしょ?
まあ一番重要な点は、その度合いが人によって違う、という事なのだが。
かなり緩いなあ、ワシの場合。辱めにあっても『そういうプレイだ』とか何とか理屈つけて納得しちゃうからなあ。
芸人系は『芸』だけにプライドを持っていれば良いのかな。あ、あまりそっちにもプライドねえや。
『ワシがやると、こうなる』ぐらいかな。『ナンだよ、大した事ネエなあ』『だから、ワシがやると、こうなるのよ』
・・・ショボーン・・・
腹でも切るか。
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