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怪しい話U−46

「アポロ13」

 アポロ13で、13という不吉な数字はやはり話題になったようで、実際に歴史的なトラブルが起き、オメガ時計(すぴーどますたー)の伝説が産まれた事はいささか有名です。

 日本では4が不吉な数字で、これは”4=死”に通じるということで、嫌われている”9=苦”より上かなと。

 もっとも、”なんで13は不吉な数字なんだ?”という基本的なことさえ知らないと真顔で言う日本人は珍しくないわけで、中には”13日の金曜日にジェイソンがチェーンソーを持って人を殺して回ったからではないのか・・・”と真顔で言う人もいます(実話)。

 もちろん、13日の金曜日というのは、イエスキリストがゴルゴダの丘で処刑されたとされる日の事で、まあキリスト教版の仏滅でございます・・・クレームが来そうな微妙な説明だな(笑)。

 それはともかく、アポロ13の事故もあってか、アポロ計画は予算や、目立った成果がないといったよくわからない理由で短縮され、月は手つかずの状態のまま21世紀を迎えたといっていい状態です

 アポロ13号の打ち上げは1970年4月11日だったのですが、フラマウロ高原に着陸を予定していたのですが船の事故により月着陸を断念し緊急帰還しました・・・この辺りは映画「アポロ13」でどうぞ(笑)。

 そんな中、アポロの月着陸直後から”人類は月に降りたっていないのではないか?”という噂があり、月の先住民などでも触れています。

 実際問題として、スプートニクなどであれだけ優位に開発を進めていた(当時)ソ連を抜き去って有人月着陸を成功させ、ソ連はその後何年たっても月へ行っていないという現実があります。

 このあたりを、米国に月への先乗りを許したため、月へ有人着陸することにそれほどのメリットが無くなったからという説があるのですが、ではヒマラヤ登山や極点到達といった行為が、誰かが既にそれをやったからという理由で行われなくなったか?という素朴な疑問があります。

 ケネディ大統領が1970年までに人類を月に送りこむと宣言し、400億ドルという天文学的な予算を投入した結果、1969年から72年にかけて7基のアポロ宇宙船が月に向かい、アポロ13号以外の6基が成功した ・・・ ということになっているのが嘘臭いと。

 月着陸の証拠とされる月の石に関しても、類似のものが地球上でも採取可能な上、実験室ででっちあげることさえ可能ということはあまり知られていません。

 また、アポロ11号だけでも数千枚ともいわれる写真を撮影しているわけですが、月面で宇宙服を着たままカメラを調節したり、フィルムやフィルターを交換したことになっているのですが、指を使わずにどうやってそんな細かい作業ができたのか?

 これはガチャピンの着ぐるみを着て同じ事をするよりもきついわけで、当時の宇宙服を知れば知るほど謎というか不可能事になってきますから、何がどのように写っているかよりよほどミステリーだという人もいます。

 ちなみに、数千枚の完璧な写真を撮ったことの不可解さを指摘されたとき、”数千回の事前練習をしたから当然できる”といった反論をしているわけですが、スタジオで定型の免許用写真を撮るというのでもなければ、完璧な写真の背後にはその何倍かの不完全な写真があるはずだというもっともな異論がプロカメラマンから出されていたりもします。

 ましてや、動きをかなり制限する宇宙服を着用して、訓練をした地球とは重力が異なる月面上でカメラを操作するわけですから、失敗作の方が多くてもさほど驚きませんが、宇宙飛行士の私物持ち込みが厳しく制限されていた事から分かるように、写真フィルムにしたところでそうそう予備があったとも思えません。

 なによりも、デジカメと違って、銀塩写真機の場合、現像するまでそれが撮影に成功したかどうかわからないわけですし、一本のフィルムから使い物にならないコマだけを消去するということもできません。

 つまり、30本のフィルムを持って出たら30本のフィルムを持って帰るしかないわけですし、そのフィルムにどのくらいの予備を入れておくかという事も事前に算定する必要があるわけで、しくじったから近くのコンビニで補充してというわけにはいかないミッションなのですが、どうもフィルムが無制限で使えたのではないかという疑念が・・・。

 それはともかくとして、米国のアポロ計画に対抗してソ連ではソユーズ計画が実施されており、1967年4月23日に大型有人宇宙船ソユーズ1号をうちあげた後、30年の間に70機をこえるソユーズが宇宙へ飛び立っています。

 それと並行して、いわゆる宇宙ステーションでもソ連の1982〜85年の間にソユーズ宇宙船と約10回のドッキングがおこなわれた”サリュート7号”、その次に有名な2人用宇宙ステーション”ミュール”が1986年2月19日に打ち上げられています。

 ミュールでは、1987年にロマネンコが当時最長の326日間を宇宙空間で過ごした記録などがあり、まずまず妥当な成果を上げています。

 * 電気系統などにトラブルをよく発生させていたサリュート7号は1991年に地球へ落下。

 その意味で、露西亜の宇宙開発というのはきちんと手順を踏んで、妥当な範囲で技術が進歩しているわけで、何故にソ連が圧倒的な優位を覆されて月への有人着陸に関してのみ米国に遅れをとったのかがわかりません。

 金がかかるからと言うことでアポロ計画が尻切れ蜻蛉になったという説があるのですが、米国の宇宙ステーションは1973〜74年に「スカイラブ」が活躍していて、最高84日間におよぶ滞在実験などが行われています。

 そして、この宇宙ステーションまでの移動にはアポロ宇宙船がつかわれたわけで、トータルコストを考えると月へ行くのもスカイラブまで行ってもどってくるのも大差が無いといえば大差が無いかなと。

* この辺がスペースシャトル計画にかなり影響を与えているとされます。

 今のところ、最後の有人月面探査となっているのはアポロ17号で、サターンV型を使って1972年12月7日に打ち上げられ、晴れの海、タウラス・リトローなどを75時間ほど調査し、月面活動で35kmを踏破、110kgの岩石を持ち帰っています。

 そういえば、アポロ13号の事故は何故起きたのか?という問いに、そろそろ一般のアメリカ人が月旅行に飽きてきてTV中継さえ行われなくなっていたためというブラックジョークがあります。

 また、当時まっさかりだったベトナム戦争に従軍して最前線で戦っていた兵士が、アポロ13号の事故を知って、”今、世界中の人があの3人の生死を気にしているが、ここではその何倍もの数の兵士が毎日のように死んだり怪我をしている・・・。”といった事を家族への手紙に残しているそうです。

 同じ米国国民で、同じ米国政府の命令で業務を遂行しているはずなのに、片方は世界中から安否を心配され、片方は家族以外からは安否を心配されることもなく虫けらのようにジャングルの中で死んでいたわけで、一番鮮烈に命の価値の差が浮かび上がったのが、アポロ13号の事故だったのかもしれません。

(2004/09/21)


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