敬天舎の紹介

徳富 蘇峰先生

鹿児島市吉野町の磯海岸近くに『敬天舎(けいてんしゃ)』は存在し、日本の心を継承している

◇私は「敬天舎」の世話人 5人の中のヒトリです

※『敬天舎』の公式ホームページは別な方が開設されております。  ご覧になりたい方は↓下の表札をクリックしてください。

敬天舎の風景

 古 文 孝 経(こうきょう)  … ばっすい

身体髪膚(しんたいはっぷ)、これを父母に受く。 あえて毀傷(きしょう)せざ
るは孝(こう)の始めなり。

身を立て道を行い、名を後世(こうせい)に揚げ(あげ)、 以て(もって)父母
を顕(あらわ)すは孝の終わり也(なり)。


子曰く(しいわく)。

親(おや)を愛(あい)する者は、敢(あ)えて人を悪(に)くまず。

親を敬(けい)する者は敢えて人を慢(あなど)らず。

愛敬(あいけい)親に事(つか)ふるに尽くし

然(しか)る後 徳教(とくきょう)百姓(ひゃくしょう)に加(くわ)わり

四海(しかい)に刑(のつと)る。

蓋(けだ)し天子(てんし)の孝也。
                                                   

俺の恋人 誰かと思う 神の創りた 日本國

     狂人走不狂人走        1996・1月  四元 義隆

清巌和尚の「狂人走不狂人走」の一句は
私にとって長い間の公案と云うべく、
又長年の課題であり続けている。
歴史を見れば「狂人走不狂人走」の例は数多い。
悠久の歴史で言えば短いとも云える狂人に依る暴徒は
幾多の不幸な狂気の悲惨な痕を残してゐる。
然し人間社会は絶えず復元し乍ら成長して行く。
一人の賢人が多くの人々を指導して、
全社会が健全に成長して行く時代もある。
古代の哲人政治の理想は然り。
人類社会にとり最大切なことは、
一人のリーダー出よと云うことである。
一人は一人では決してない。人類社会は一体である。
この様な時代は大衆は心から、
すぐれたリーダーを待望してゐることは間違いない。
どんな小さな組織であれ、又巨大な組織であれ、
先ず一人のリーダーこそ大切也。
一人のリーダーは決して独りではない。
その独り独りの結果は、その全組織を興す。
国家であれ、会社であれ、
すぐれたリーダーの結集に依り興り、それ無くば即ち亡ぶ。
古語に「天下一人にして興り、一人にして亡ぶ」と。

群(むれ)よびにひとつ奔(はし)ると見るが中(うち)
          長々しくもつくる蟻みち   曙覧作(あけみ作)

利(もうけ)のみむさぼる国に正しかる
           日嗣(ひつぎ)のゆゑをしめしたらなん
                           曙覧作(あけみ作)

                                        清巌宗渭
                       大徳寺百七十世
                       天正16(1588)生
                       寛文元 (1661)没
                                                        品川東海寺住
                          大徳寺 世譜

↑ 西郷隆盛南洲翁筆の私学校綱領

岩崎 行親先生

國体詩碑の前にて

← 私学校綱領の石碑文

私学校跡 記念碑

日本の人は学校さえ出ればよいと思っているが、西洋の人は学校を出てからもやる。
いったい、人間一生のうち、卒業などということがあるべきでない。
                                                    杉浦重剛先生

 合掌 

磯の繚に囲まれたあばらや、古井戸、水神さあ、天井のないがらんとした舎屋、そこに天臣、宗渕堂、保城山之翠(古島一雄先生書)、岳東先生の額、北満の白系露人の部落からきたトナカイの角にかかっている紅槍匪の槍、また床次竹二郎先生の愛読書、ウエブスターのエンサイクロペディア等が雑然と置かれている。

 その正面に見開きの扉があり一本の榊の木が植っている。
「ひもろぎ」である。

 
それは今でも鮮烈に蘇ってくる往時の敬天舎のたたずまいであるが、私はこの「ひもろぎ」こそ勇輔先生の生涯の傑作であると信じている。しかもそれは、石井一作翁と逢われる前、また川面凡児先生直伝の禊行に参加される以前に植えられていたものである。

 「ひもろぎ」とは魂のこもる木という意味である。これこそ勇輔先生の魂の修錬の見事な結晶であり敬天舎の中心的生命である。これをみて驚きの声を発し先生の透徹した日本魂を読みとられた石井翁もさすがというほかない。

 以上のことから、「ひもろぎ」に対して我々同人が切磋琢磨、百錬自得する道場であってこそ敬天舎の存在意義があることをまず確認しておきたい。

人はあるいは敬天舎は私学校の残党の集団であるという・・・・・。

背景の写真・・・屋久島の縄文杉(牧氏の撮影)