感想文リスト
2004年国産作品レビュー
2004年海外作品レビュー
国産レビュー2003
2003年度海外作品レビュー
2002年度国産作品レビュー
2002年度海外作品レビュー
2001年度国産作品レビュー
2001年度海外作品感想
2000年度国産作品感想文
2000年度海外作品感想
99年度国産作品感想
99年度海外作品感想
98年度国産作品感想
98年度海外作品感想
97年度国産作品感想
97年度海外作品感想
国産作品旧文書館
海外作品旧文書館
バス釣り天国河口湖日記
道北ドライブ日記2003
北の国から2001秋
北の国から2000リベンジ編
北の国から98食欲編
ちょっと気になるあの…

98年度国産作品感想 

   国産作品の98年版読後感想であります。こちらも新刊旧刊ごちゃ混ぜですが、筆者の懐事情を考慮の上、ご了承のほどをお願いいたします。

題名:二進法の犬 著者:花村萬月
出版:光文社カッパ・ノベルス 1998年11月25日初版1刷  
価格:本体1238円+税 極私的評価:★★★★1/2

 こいつらみんな内臓をさらけ出して土足で踏みにじってくれって叫んでいるんじゃないのか。そんな身悶えするほどに切ない萬月節をイヤと言うほど味わい尽くしました。禁忌を超越した文字通りスーパーナチュラルな登場人物たち。世紀末の混沌を真正面から斬り裂く硬く反り返った刃。首の皮一枚で正気の世界に止まった、まさに入魂の1600枚。芥川賞取っても萬月は萬月であると、以前からの読者はホッと安堵のため息を吐いたのではないか。

 怯懦に怯えつつ怯懦の快楽に溺れる男、鷲津兵輔。こいつの心の奥底に抱える暗黒こそがアウトローの証なのだ。二進法で律された犬たちの心根は竹のように真っ直ぐである。例え血腥くとも世間が糾弾しようとも、我が道を行くだけ。鷲津はだけは違った。だから倫子が惹かれた。乾が受け入れた。利用するだけの心づもりが二進法の世界にカオスを取り込んだのである。静かな水面に浮かんだ波紋がこれまで心の奥底に潜んでいた倫子の愛憎の門を押し開く。坂道を転げ落ちるように物語は白熱する。行く手には白刃と熱き鉛の玉。心が震える愛の形。暗黒が愛すらも飲み込んでしまうのか。逃げ道を残しながら、徐々に退路を断って行く鷲津の思考回路はゆるやかにショートしてゆく。愛が怯懦を押さえ付け暗黒を飲み込んだのか。目の前に開けた新たなる倫理感は、鷲津をどこへ連れて行くのか。倫子の『倫』は鷲津の暗黒を押し開くためのキーワードだったのか。萬月が用意した読者への招待状。

 思索する主人公とともに読者も萬月も思索する。白か黒か。1と0。コンピュータの原理が好きなヤクザを持ってきた萬月も尋常じゃないけれど、それに納得して読んじゃう読者も尋常じゃない世界に足を踏み入れているのだ。柔らかくしかも無理矢理に物語が読者の脳内に侵入する。このヌルリとした感覚がまさに萬月の真骨頂なのではないか。萬月を律する『恥と意地』の感覚は我々の世代では『是』です。だからこそ、新たなる『倫理』をも受け入れる余地が1600枚の彼方に広がるのであります。若い世代の読者に感想を聞いてみたい気がします。(98年12月読了)

題名:クロスファイア 上、下巻 著者:宮部みゆき
出版:光文社カッパノベルス 1998年10月30日初版1刷発行  
価格:各本体819円+税 極私的評価:★★★1/2

 ああ、これが宮部みゆきの限界なのか。大風呂敷広げ損なって、落ち着くところに落ち着いたって感じのラストにはカタルシスは感じられませんでした。キングの『ファイアスターター』へのオマージュであるなら、もっとハードにバイオレンスに世界を焼き尽くすほどの憎悪をヒロインに感じさせて欲しかった。装填された拳銃が自らの体熱で暴発するほどのパワーを私に下さい(~_~;)。ガーディアンなんか登場させるからこんなことになっちゃうのですよ。宮部みゆきがこっち方面書いちゃうとおままごとになっちゃうのは致し方あるまい。ただ、それが本書のメーンプロットと密接に絡んでくるので、外すに外せないってところでしょうか。

 静かな怒りでいいのか。青木淳子の報われぬ愛は、激しい炎と化し過去を清算する。記憶まで焼き尽くす炎こそが浄化作用となって物語は風化してゆく。中途半端なバイオレンスより、宮部みゆきは超能力者という衣を着せた等身大のヒロインの疎外感とその透明な哀しみがよく描けていたように思う。男性作家にはとても太刀打ちできないきめ細かさと言っておこう。この辺に感動した読者はかなり多かったのではないでしょうか。自分を振り返って孤独感を増幅させてしまい、青木淳子の行く末にまんま感情移入してしまう。男性読者ほど醒めて見てしまうのは、彼女の過去の著作と共通するところでもあると思いますね。だから手放しでは絶賛できない(~_~;)。

 デーモニッシュな青少年たち。現実社会にも、岐阜の田舎町で起こった凄惨なリンチ殺人は、先頃、裁判所の冒頭陳述で明かされた通り、法という名の隠れ蓑に覆い隠された未成年の男女が繰り広げた悪魔の所行であった。宮部みゆきが書いた本書のストーリーそのままである。装填された銃口の向かう先は悪魔的な未成年者たち。このような状況設定は今後、バイオレンス小説でもメジャーな分野になって来ることは間違いないでしょう。彼女の先見性を誉めるべきか、現実社会の歪みに畏れおののくか難しいところでもあります。

 本書と並行して読んだエドワード・バンカー『リトル・ボーイ・ブルー』の衝撃が、未成年者の犯罪の欧米化をより身近に感じさせてくれました。こいつらの性癖は生来のものである、と。性悪説をマジに信じるようになっちゃうよね〜(~_~;)。フィクションとはいえ、現実社会のある一面を確実に切り取っている作品は、触れば熱い生命を持った存在である。よって個人的には、人によって好悪が分かれるであろう、宮部みゆきが取ったバイオレンスな作風は、そのまま現実の鏡たる社会派的変貌であると肯定的に見てます。(98年11月読了)

題名:病葉流れて 著者:白川道
出版:小学館 1998年9月20日初版第1刷発行  
価格:本体1600円+税 極私的評価:★★★

 端的に言っちゃえば、ギャンブルまみれの『青春の門』でありますね。真っ白なキャンバスのように穢れなき大学一年生が、都会の澱にどっぷり浸っちゃうのであります。ゆっくりと落ちて行く浮遊感覚みたいな不安定さが、読み手の安定感を求める心をいたく刺激してくれる。プチブル的一般市民感覚としてギャンブルは悪みたいな風潮があるでしょ。その辺の危うさが次々に登場する勝負師たちに凄みを与えるのであるな。ただ、そればかりを強調すると本当のギャンブル小説に落ちちゃうので、このレベルの市井のギャンブラーたちが小博打繰り広げる程度のスケールが実にしっくり来るのです。一歩踏み違えば、簡単に我々でも到達しうる世界。

 まだ『週刊ポスト』誌上で連載は続いているようですが、麻雀から始まって競輪へ、再び麻雀という博打の魔力に取りつかれた、男も女も手に汗握るクライマックスが最後に用意されていて、その緊張感は尋常ではないぞ。イカサマ師たちのワザやら競輪のイロハまで、読者には格好のギャンブル入門編にもなっています。

 私自身、競輪用語に疎いところがありまして、この本読んで初めて『番手』の意味が分かりましたもの。競輪道の奥の深さの一端に触れた訳ですね。やがて見せてくれる神髄が、続編の読みどころになっていくのかもしれません。こういう小説って作者のギャンブル感が色濃く出るものでありますからして、ストイシズムに陥ることなしに、適度な色気が主人公を包む柔らかさも大歓迎ですね。麻雀知ってる読者なら楽しめること請け合いですので、『海は涸いていた』の作者・白川道の異色作を手にとってみてはいかがでしょう。

 配牌まで載っけてほとんど麻雀漫画の世界に迫る迫真性。まじにギャンブルやる奴じゃなければ書けませんぜ>こんな博打小説。ワシら素人衆は麻雀で飯食ってるしのぎに目を丸くするだけだし、そのままの姿を受け入れられる作者の目がその世界に精通しているからこそなのだな。続編の登場を首を長くして待つ。どこまで落ちてゆき、そして這い上がるれるのか。梨田の辿る道程に終着点はあるのだろうか。(98年11月読了)

題名:鳩笛草 著者:宮部みゆき
出版:光文社カッパ・ノベルス 1995年9月25日 初版1刷  
価格:820円(本体796円) 極私的評価:★★1/2

 市井の超能力者。しかも女の子を主人公に連作中編となった本作の存在は知ってはいたのですが、手は出しませんでした。なんとなくジュブナイルっぽい印象があって敬遠してたわけですね。当時の彼女の著作にも、ちょっと私の読みたい分野から離れつつあるなという感覚が支配していたためもあるんですけど…。そこにポンと出てきた『クロスファイア』なのである。なんと本書収録の『燔祭』の続編に当たるとのこと。う〜む、こりゃ読まねばなりますまい。『クロスファイア』ってちょっと期待出来そうなんだもの。これってキングの『ファイアスターター』へのオマージュ作品と捉えてる方も多いようなので、結構ハードに燃え上がっているのかな。ま、こっちは図書館待ちなのですが…。

 若い女性の等身大の苦悩を活写する宮部みゆきの筆裁き。それだけじゃ済まない超能力の存在こそが本書の読みどころな訳ですが、そこはそれ、宮部節が柔らかな調べを奏でてくれる。端的に言っちゃうと軽いのだな。題材は重いのに、個に絞って書き込まれているためにSF色は極力排除され、ほとんど青春小説のノリってとこあるでしょ、これ。ま、雑誌に発表された中編を寄せ集めて作った作品集ゆえ、これ以上求めてはいけないのかもしれませんね。

 ゆえに書き下ろしの『クロスファイア』には大いに期待しちゃいましょう。キングも真っ青なファイアスターターぶりを見せて貰いましょ。そして、みゆき嬢がどこまで自分の小説に仕上げてくれているか。個人的には最近不調だなと思ってる宮部節が再び高らかに鳴り響くことを信じてはいるのだけれど、年齢とともに先鋭的な部分が丸く成りつつあるのではないかと心配もしてたりする。さて、彼女にとって吉か凶か。(98年11月読了)

題名:レフトハンド LEFTHAND 著者:中井拓志
出版:角川書店 平成九年六月三十日 初版発行  
価格:本体1500円(税別) 極私的評価:★★★

 日本ホラー小説大賞長編賞受賞作ではありますが、こりゃあホラーというよりブラックなコメディという感じ(~_~;)。呆れるほどのイマジネーションが産み出したLHVそれは致死率100lの全く未知のウィルス。でもね、とってもへんてこウィルスなのであるぞ。なんせ左腕なのである。左腕だけが抜け落ちて別の生命体として活動を開始し、おまけに本人に襲いかかり餌にしてしまうのである。なんだかトホホな設定だけど、読んでみるとそこはかとなく味わいのあるライトな感覚のホラーってとこがあるのよ。で、ほどよい緊張感が物語を引っ張ってくれる。

 登場人物の性格設定も輪を掛けてユニーク。皆投げやりで他人任せで責任感をどこかに忘れてきてしまったような連中ばかり。訳分からん科学者は、LHVに感染していて研究棟に立て籠もって被験者を要求してテロリスト呼ばわりされてるし、主役とも言うべき厚生省の研究員もほとんどB型の突撃体質(~_~;)。まわりで連中が騒ぐだけで何の根本的な解決案が導き出されないのが呆れるほどよろしいのだ。

 やつらが暗闇でカサカサ動き回る中を、ゴムの防護衣の中で汗だくで逃げ回るシーンは映画『エイリアン』を彷彿とさせるし、やつらが産まれるシーンは『エイリアン』より凄いかも(~_~;)。だから脱力系の登場人物たちが織りなすドタバタ騒ぎも美味しいのですが、ホラー本道を行くクリーチャーどもの末路を辿るのも、一粒で二度美味しいキャラメルみたいに読ませるのであるな。訳分かんないラストもすっとぼけててナイスなテイストではあります。(98年10月読了)

題名:屍鬼 上、下巻 著者:小野不由美
出版:新潮社 1998年9月30日  
価格:上巻2200円、下巻2500円(税別) 極私的評価:★★★★

 差別する側とされる側。果たして被差別者はどちらなのか。部落問題にも似て考え込めば果てしなく重いテーマを内蔵しながら、尋常ではない舞台背景に尋常ではない登場人物でコーティングした尋常ではない物語がデーモニッシュに読者に襲いかかる。ようやくキングにも匹敵する国産ホラー作品が登場したかと、ド迫力の三千枚に驚愕し戦慄を覚え感動を胸の奥深くに仕舞い込むであろう。物量作戦でも、外国軍の『五輪の薔薇』や『IT』にも匹敵するメガトン級の上、下巻なのだ。持って歩くには少しばかりヘビーなので、これはじっくり腰を落ち着けて読むしかあるまい。未読の方でこれから読もうという方は覚悟召され(~_~;)

 上巻で何故ここまで退屈な日常と人物描写に費やすのかとイライラしながら読み進んだのでありますが、下巻に至ればすなわち納得の展開。こうでなければここまでの物語の厚みは出なかったでありましょう。日常が深いから逃げ場がない。これは怖いですよ。 土俗的な怖さが輪を掛けて都会的な立場で俯瞰する読者を飲み込み、感情移入するべき相手を見失い茫然自失とする後半戦の大殺戮大会に無抵抗のまま放り出されるのだ。どちらも日常の営み。 狩る者と狩られる者。上、下巻で入れ替わる立場に物語は加速度的にカタストロフへと雪崩れ込んでゆく。

 生者と死者に関係なく個人としての中身が抉り出され裸にされ、歪みだした歯車が噛み合わなくなって崩壊してゆく村は魔そのものである。屍鬼の干渉のあるなしに拘わらず、魔はゆっくりと村を覆い尽くす。村八分的恐怖と猜疑心。屍鬼は単にきっかけに過ぎなかったかのように…。これまでの吸血鬼作品とは異質の怖さがこの作品の核にはある。それを支えているのが三千枚の厚みなのだな。屍鬼の親玉こそは意外な人物であったことが途中発覚しますが、物静かで信ずべき人物こそが触媒であったことが意外性をもたらす。作中作である静信の精神構造を映し出す鏡的な作品が導き出す結末は必然である。静信の隠された願望が屍鬼たちを呼び寄せたといっても過言ではあるまい。ここには静かな純愛の物語がほの見えたりする。

 終盤の対吸血鬼戦が古典的呪縛を免れ得ないのであるが、敏夫が科学的に解明する吸血鬼の生理学的構造が一歩進んだ現代的なホラー作品の香りを運んでくるのだな。90年代の吸血鬼物語はここら辺が結構クールでよろしい。土俗的な風習の中での論理的科学的思考の持ち主が悪戦苦闘する様は、まさしく作者が本作品で描きたかったもう一つの文化的衝突なのでありましょうね。異質なもの同士のぶつかり合い。ここでも差別する者とされる者。滅び行く種族の哀しみがふつふつと沸き上がるエピローグでありました。ホラーファンならずともこの秋必読の大作であります。(98年10月読了)

題名:午後の行商人 著者:船戸与一
出版:講談社 1997年10月15日 第1刷発行  
価格:本体2100円 極私的評価:★★★

 夢かうつつか。これは白日夢にも似た船戸版おとぎ話なのかもしれない。このテイストは相変わらずなのだけれど、メビウスの輪状態が読後感に不思議な感覚を残してくれる。若い頃の作品に見られた、あの熱に踊らされたような文体が、歳とともに多少色褪せようとも船戸は船戸なのだ。硝煙の匂いがよく似合う。選んだ舞台が『国家と犯罪』収録の『幾たびもサパタ』とリンクしており、実在の地名と実在のゲリラたちが物語にリアリティを与え、タランチュラさえもが実在の人物かと白日夢は思わせるのだ。

 サパティスタ民族解放軍。こいつの物語の根幹にしなかったのは、モロ船戸節してるのよね。あくまで個人に拘る復讐物語。だからこそ老境にさしかかったバイオレンス派の作家の魂を注ぎ込んだ老復讐者が精彩を放つ。だからこそ『ぼく』に対するマリアの年齢かもしれないね。若さよりも老練さに惹かれる語り部。大人になりつつあるマッチョへの視点がそれこそ辟易する読者もいるでしょうが、船戸はこれでいいのです(~_~;)

 タランチュラの存在は何に対する寓意なのであろうか。教えるところは教え、そうでないところは突き放す。『ぼく』の成長に目を細め、洟垂れ小僧からパートナーへの昇格。人生の先生? もしくは宣教師。大人になりきれない幼児社会への警鐘? いやいや、そんなこと考えずに読むのが船戸でいいじゃないの。先住民の武装蜂起に揺れるメキシコ辺境の地もただ彼らがいる場所。そこで起こった物語はそこで完結する。法廷の『ぼく』が夢なのか、タランチュラに自ら同行した『ぼく』こそが夢なのか。政府の陰謀で片づけるよりはおとぎ話で終わった方が読み手にはより寓意が伝わる気がする。 伝わるけど気にしない読み方が、また船戸らしくていいのさ。(98年10月読了)

題名:狼叫 著者:樋口明雄
出版:講談社 1998年9月20日 第1刷発行  
価格:本体1800円(税別) 極私的評価:★★★★

 秋の出版ラッシュで危うく見逃してしまうところだったぞ。あの国産冒険小説の傑作『頭弾』の柴火が再び動乱の満州に帰ってきた。冒頭いきなり火を吹くモーゼル・ミリタリー拳銃がやがて来る波乱を予感させ、前作の夕日の荒野から舞台は凍てつく大地へと様変わりするのは、イコール柴火を取り巻く環境の危うさとの共通項。伊達順之助、徐舜に加え新たな副主人公とも言うべき男装の麗人、川島芳子の登場でモノクロームの風景に朱が差したような彩りが眩しいほど。それほどまでに強烈なキャラクターではある。

 ラストの銃声は、柴火の生死を分かつ運命の裁き。伊達順之助は己の葛藤とどう折り合いを着けたのか。このままでは終わらない。そう予感させるラストの余韻。滅び行く馬賊と満州軍への挽歌。柴火の行動にも哀しみに彩られた魂の叫びが、声なき声となって屍の大地に低く長く響くのだ。だからこそ狼叫。柴火VS徐舜。苛烈な運命が二人に与えたものはさらに過酷な悲劇というほかない。ズラリと並んだ満州軍300と抗日馬賊300のにらみ合い。一触即発。う〜む、このスリリングさがたまらん正統派冒険小説なのだな。こういう作品が国産で産み出されることに拍手を送りたい。

 死という名の永遠のとき以外に、柴火に安寧のときは訪れるのだろうか。って勝手に続編が出ることを前提にしてうだうだ書いてますが、絶対出るでしょう>続編。あの伊達順之助の心情を鑑みるに、どうあっても無抵抗の者は撃つまい。自分の信念を裏切ってまで、日本人であることに執着しない男。流星のように流れて散った英傑たちの中で輝きを自ら止めてしまう訳がないのだ。歴史上これ以上に暗く重い事実が横たわる方向を作者がどのようにさらに血沸き踊る冒険活劇に仕上げてくれるかが楽しみなのだ。だから、ちゃんと続編出してね>樋口明雄殿。(98年9月読了)

書名:弥勒 著者:篠田節子
出版:講談社 1988年9月20日 第1刷  
価格:2100円(税別) 極私的評価:★★★★

 チベット近隣の仏教立国パスキム。架空の王国を舞台に傍観者たる立場だった主人公が直面する当事者としての困惑。やがて来る恐怖。序盤書き込まれた傍観者たるデティルの確かさにより、パスキム以降のコペルニクス的展開とともに主人公の絶望感が緩やかに立ち上って来るのだ。彼にとっての『弥勒』とは何を意味するのだろうか。イコール美の女神、すなわち信仰以下。そこから始まる果てしなく続く魂の破壊と再生。魂の器たる肉体をリサイクルするスピードを異常に速めた国での恐るべき体験。

 クーデター下のパスキムは、ベトナム、カンボジアそのものなのだ。歪んだプロパガンダを押しつける新政権の壊れて行く様を無数の死体とともに淡々と書き進んで行く篠田節子の筆致こそが、傍観者たる永岡の立場を映し出しているとも言える。当事者の立場に置かれながら、流されて行く傍観者の精神構造。だからこそ耐え得たキリングフィールドだたのかもしれない。原始共産制とも言うべきゲルツィンの取った道。彼らに否定された宗教とは何か。自然発生した信仰から導き出される仏教の教え。宗教国にあってはそれがすなわち独裁へとつながり政治的腐敗を生む。ゲルツィンの取った行動に私欲はなくとも破綻したのは宗教ではなく信仰を無視したからに他ならない。アニミズム的な考え方は『ゴサインタン』でもその萌芽は見られたのだけれど…。

 『弥勒』とはわずかに残った宗教のかけら。無宗教の日本人たる永岡が救ったのは、美術的観点からであったけれど、皮肉にもその国の宗教そのものの象徴を破壊から守った形。政治的軟禁状態=永岡にとって夢うつつの状態を打ち破ったのは、地雷という現実そのものだった。宗教への回帰の予感を漂わせながら変わりつつあるパスキム。掘り出された『宗教のかけら』が永岡の精神を染め直す。魂の再生が壊れかかった肉体に打ち勝った瞬間でもある。

 すべては夢ではなく現実であった。痛みとともに永岡に舞降りた『宗教』の光。罪への癒しと救済。彼のこれから辿ろうという道は必然である。パスキムの仏=弥勒が彼を選んだのは、宗教自体の再生を彼の手に托すため。永岡の目覚めとともに弥勒はその存在意義を失い退場して行く。傍観者から当事者としての存在に自分を置き換えた時、この物語は静かに終わりを告げる。

 圧倒的な収容所生活の描写。屍を越えて行かねば生きられない苛烈なパスキムの生活の中の生と死。その無情感は、書きたいものを突きつめて行くと、そこにあったのがホラー小説であったという篠田節子女史が、今新たに到達した作家としての成熟がこの作品に結実しているようでもある。死を見つめることが出来る年齢が、ここに導き出されたのは言うまでもない。(98年9月読了)

題名:Twelve Y.O. 著者:福井晴敏
出版:講談社 1998年9月10日第1刷発行  
価格:本体1500円(税別) 極私的評価:★★1/2

 乱歩賞ってこの程度なの? こんな題材でも乱歩賞の範疇に入っちゃうんだ。やっぱり乱歩賞ってくらいだから、ちゃんとミステリしていて欲しかったなぁ。出版社が絡んだ文学賞ってえのは、どうやらお先棒担ぎの評論家を使いっ走りさせて宣伝するもんで、すっかり騙されて書店で財布の紐弛めてしまいました。こんなことなら図書館のリクエストで済ませておけば良かったかもね(~_~;)

 アクション場面は個々で見ればそれはそれなりに優れた描写は散見するのですが、バックグラウンドがあまりに荒唐無稽で劇画も真っ青な設定なので、いやはやまったくなのでありますね。『キメラ』やら『BB文書』やら『ウルマ』やらネーミングがトホホでこんなのハードカバーで出すなよな>講談社。新書ノヴェルズで十分でしょ。確かに近未来電子戦闘の具体的な事例を見せてくれましたが、薄っぺらな登場人物が読者に距離を置かせてしまうのだなぁ

 第1の疑問は『ウルマ』がどうして、ああいう行動に出るように刷り込まれていたかなのだ。ちゃんと説明でき切れていないよね〜。 第2の疑問は東馬=トゥエルブの動機。あんなことでそこまでするか?私にゃ誇大妄想の大馬鹿者としか映りませんでした。第3の疑問。自衛隊が国内であんなに銃弾バラ撒くかねえ。せめてグロック止まりにしとかないと、劇画にしかならないのだ。要は国内ネタでここまでやっちゃうと説得力持たないってことですね。

 劇画なら劇画に拘って『ウルマ』の物語にした方が良かったかもしれない。彼女の透明な哀しみがよく出ていたように感じたのも★を1/2増やした理由でもある。軍事おたくネタと洗脳少女の玉石混淆物語(~_~;)って感じが一番この本にはぴったり来るかな。でもねえ、嫌いじゃないのよ>こういう軍事ネタ大風呂敷小説。化ければクランシー級の面白謀略アクション路線を突っ走る可能性を秘めたサラ3歳馬ってとこかなぁ。(98年9月読了)

題名:剣豪将軍 義輝 著者:宮本昌孝
出版:徳間書店 1995年12月31日 第1刷  
価格:2500円(本体2427円) 極私的評価:★★★★

 隆慶一郎亡き後、歴史時代小説への興味も薄れがちになった不明を恥じるほどの出来である。血潮熱き男たちが戦国の世に流れ星となって駆け抜けてゆく爽快感。あくまで明るく、滅びが待つ運命を己自身の手で切り開く将軍・義輝の闊達さが眩しいほどなのだ。正当派剣豪小説であり、少年の成長小説であり、戦国の世を活写する歴史時代小説の瞠目すべき一編であるといえよう。

 塚原卜伝の秘剣一ノ太刀。義輝が悟りに至る描写がよろしい。いかにも剣豪小説。柴錬、隆慶一郎を彷彿させる手練れが義輝をさらに高みへと飛翔させるのだ。ここまで書き込める作家が登場したことに拍手を送りたい。剣戟場面の冴えがもう一つの読みどころではある。いやいや、それ以上かもしれない。黒沢監督が、実際に肉を切る音を使って真力を増したというエピソードを耳にしたけれど、本書にもリアリティを重視した人斬りのシーンが、実際の歴史に沿ったストーリーとその裏側の嘘の部分を織り交ぜた作者の手腕を際立たせているのは明白であろう。

 剣豪将軍の面目躍如たるラストシーンには震えが来た。それほどの筆の冴えである。畳に突き立てられた豪刀、名刀の数々。刃こぼれ、血脂を避けて血路を斬り開き、前へ出るしかない不退転の将軍としての心意気。その中に織り込んだ能鷹との最期の戦い。う〜む、血沸き肉踊るとはこのことですね。読むべし。(98年9月読了)

書名:夜光虫 著者:馳星周
出版:角川書店 平成十年八月二十五日 初版発行  
価格:本体1900円+税 評価:★★★1/2

 血の滴るような小説の塊を真っ二つに裂いてみればあっと驚く家族の物語だった。二重構造の物語。『不夜城』『鎮魂歌』を経て暴力と暴力がぶつかり合い、きしみ、弾ける真っ直ぐな暗黒小説を見つめ直したのではないか。ただ落ちて行くだけではない。時限爆弾として埋め込んだアナザーストーリーが後半弾ける。バラバラになって千切れ飛んだ家族の絆と愛憎。家族愛を完結させるための加倉の行動。指輪に込められた新たな家族を求めて止まぬ孤独な男の彷徨に賛否は別れるだろうが、やがて交わる予感が続編への期待へと変わる。滴る血潮を拭い去ればシンプルな物語。

 自分の中の自分。悪魔の囁きは己の欲望の具現なのか。加倉の行動は一貫している。黒道そのものが『夜光虫』。虫けらを押しのけ掻き分けひたすら前に出るために、心の中に飼ったもう一匹の虫けらが燐光を放つのだ。体温の熱さ故に死の踊りを続けざるを得ない冷血の男たち。誘蛾灯におびき寄せられるように集まる黒道たち。逃れられぬ放水の誘惑。夜光虫の群れが夜の闇を押しのけてゆく。負の要素をこれでもかこれでもかと書き立てる馳星周の筆裁き。だからこそ深いのだ。落ちて行く先がずぶずぶと底が見えない。狂ってゆく一人の男の咆吼。

 題材に採った台湾プロ野球。デフォルメの加減は不勉強にして判断しがたいけれど、主人公の壊れ方に無理がないかと言われれば、否定は出来ない。無理に作り上げるキャラは破綻する。あくまでリアリティを追求するならば、じっくりと構築しなくてはならない小説の中での黒社会&黒道。馳星周が描く虫けらどもは中国人、日本人に止まっているけれど、『すばる』で始まった連載は、バンクーバーへ舞台は飛ぶ。悪い白人が支配する大陸への上陸は、新たな馳星周の誕生を意味するのであろうか。(98年8月読了)

書名:鎮魂歌 不夜城II 著者:馳星周
出版:角川書店 平成9年8月31日 初版発行  
価格:本体1500円(税別) 評価:★★★1/2

 日本の暗黒小説の最先端であることは否定しない。虫けらたちの地を這う無様さを俯瞰せずに地べたに降り立った視点。虫けらどもの等身大の視点で虫けらどもの悪あがきをひたすら追う。フレンチ・ノワールの極北を指し示すマンシェットの作品群と比較すれば一目瞭然なのであるが、ウェットなのだ。吹き出した血潮さえサラサラと風化されるほどのドライさゆえのマンシェットのファンタジー性が、馳星周の世界にはないのだ。

 ペンネームの馳星周から分かるように、馳名義の作品はチャイニーズの深い闇に耽溺してゆく作家的方向性が痛いほど見えてくる。書けば書くほど底の見えない中国人どもの闇の歴史に魅せられてゆく。救いなき男たちの痛憤の叫び。三千年の歴史に埋められた無名の虫けらどもの死屍累々たる化石の上に築かれた黒社会。北京から。上海から。台湾から。侵略される日本。新宿。歌舞伎町へ。どこを切っても流れる血はろくでなしの血。

 小説に現実が追いつく時代。大陸の現実が悪夢となって島国に押し寄せた。日本人のくず滝沢を狂言回しに、リトル黒社会を白日の下に晒した悪い中国人たちの物語。波風たてるのは日本人の血。だからこその鎮魂歌なのかもしれない。ろくでなしの虫けらどもには墓碑銘はいらない。だからこそ馳星周が惹かれて止まぬ虫けらどもの物語が夜の闇にボウッと夜光虫のように輝く。

 『夜光虫』の舞台は台湾へと移ったが、主役は黒道と名を変えただけの暗黒社会。流れ出す血潮が沸騰するほど熱い物語に、馳流のウェットさを加えて蒸し上げるとそこには、這い上がるチャンスすらない落ちてゆくだけの生きた死人たちの群れ。読書というより毒書。ここまで暴き立てた黒社会を次にどう料理するのか? 舞台を再び歌舞伎町に戻すのか? アジアの混沌がある限り馳星周という作家のエネルギーも燃え尽きることはないと思うのだけれど…。(98年8月読了)

題名:理由 著者:宮部みゆき
出版:朝日新聞社 1998年7月30日 第8刷発行  
価格:本体1800円+税 評価:★★1/2

 宮部みゆきの野心は結実したのか。個人的には「うーむ」と唸らざるを得ないぞ。否定はしないが、肯定できるレベルにあるとは思っていない。一部で絶賛する声も挙がっているが、この程度の実験作品でここまで評価しちゃっていいの?って思っちゃうのさ。宮部みゆきだからここまで売れてるんだろうけど、新聞連載を意識してか、まるで三面記事みたいなドキュメンタリー・タッチの文章で執拗に登場人物を、舐め回すがごとくパーソナルな部分を抉る必要があるのか疑問が残る。登場人物の出し入れにも難あり、だね。

 鬱陶しい個人のデータの奥から見えてくる『一家四人殺し』の理由。宮部流あぶり出しですね、これ。徐々に浮かび上がってくる民事のダークサイド。競売物件を巡る今日的なトラブルをまことしやかに書き綴っても、導き出されたのは、ただただ鬱陶しいだけの『平凡』。家が、家族が、そして人が、だんだん壊れていく。な〜んて帯には書いてあるけれど、犯罪を犯す過程では誰でも家だろうが、家族だろうが、人だろうが、み〜んなぶち壊して犯罪道を邁進するのである。犯罪社会にあってはほとんど初心者レベルの動機だよね。それを、いかにもって感じで大作に仕上げちゃった宮部みゆきには、もの申すだよな。

 占有屋っていう民事の裏稼業に目を付けたのは、さすが宮部嬢だと感心したけれど、そこから派生するトラブルを処理する事案というのは、民事上でもかなり珍奇な事例が過去にはあって、今回のネタがさほど珍しくないというところが残念なところではあります。どうでもいい人たちの日常を深く掘り下げ過ぎちゃったのが敗因と断言してもいいか(^^; そんなの読みたくないよ〜ってえのが実感だもん。

 チャレンジするみゆき嬢は偉い。定番作品はしっかり裏で出してるし、勝負に出るときは大胆に、だもんなぁ。ただ、二作品続けて玉砕しちゃうと、マーケティング作戦上、翳りがのぞく宮部ブランドかな、って言われちゃう可能性もなきにしもあらず。次は期待してます、と言っておこう。(98年8月読了)

題名:密告 著者:真保裕一
出版:講談社 1998年4月28日 第2刷発行  
価格:本体1800円 評価:★★★

 真保裕一はどうしてこうも小役人が好きなんでしょうねえ。んもう、警察でもマイナーな部署の男女が繰り広げる下世話な汚職追及話。陰々滅々、主人公の煮え切らない性格が鼻につくともう嫌な奴としか思えなくなってきてしまうのだが、ま、下世話な興味で誰が密告したのかと、その一点で興味を引かれるのである。自分の弱さを被虐的にさらけ出してアンチヒーローを肯定的に見せようという真保裕一の筆裁きに熱が籠もれば籠もるほど、何でこんな下らない警官どもの汚職騒動に付き合わなくちゃいけないの?って思っちゃう部分が出てきちゃうのさ。うじうじと女に未練を残しつつ、女も男を拒絶しきれない。こんな現実にもありそうな鬱陶しい話をフィクションの世界で読みたいとは思わんぞ。

 てなこと言ってて最後まで付き合うのは、真保裕一ならではのディテイルの確かさというところでしょうか。ピストル競技者のメンタルな部分にまで光を当てて暗部を浮き上がらせたうまさ。警察内部の組織構造やら利権の構造が手に取るように見えてくるのが後半戦。この辺から俄然面白みが増してくるのであります。二人の女がキーワードとなって際どく真相に食い込む主人公の萱野。ここで踏みとどまらなければ、落ちるところまで落ちてしまう。必死のあがき。ひりひりと痛いほど分かる小心者の心根。誰もが持つ心の奥底の淀んだ感情。触りたくないのだけれど、ああもう、行くところまで行け>萱野、と感情移入しちゃうのだ。それだからこそ、XXが真犯人だったという衝撃が心に痛みを残しました。ハードボイルドは男と女の物語なのだなと、真夏なのにしみじみと感じる読後感でした。

 でもねえ、真保裕一にはもっと違ったジャンルで書いて欲しいのは、ファンなら誰でもそう思ってるでしょ。小役人シリーズは存続するのだろうけど、冒険小説的にブレイクした『ホワイトアウト』や『奪取』の絶好調ぶりを再びこの目で見たいのだ。もうちょっと冒険してもいい頃なんじゃないでしょうか。一ファンの独り言…。(98年7月読了)

題名:流沙の塔 上、下巻 著者:船戸与一
出版:朝日新聞社 1998年5月1日第1刷発行  
価格:本体各1700円+税 ★★★1/2

 かくも儚き男たちの夢は硝煙と血の匂いの彼方へと流沙に飲み込まれ消えてゆくのみ…。中国秘密結社に題材を取った船戸節は、限りなくバイオレンスなのだけれど生へのギラギラした渇望に欠けるような気がするのは、私だけではあるまい。ひょっとして作者自身も感じてるかもしれない。老いを見つめだした死の予感。船戸の死生観が知らず男たちの行動律に反映されているようないないような。でも血しぶきバンバンなのは相変わらず船戸は船戸なのだけれど…。

 現実の中央アジアへと広がる反中国のうねりをダイナミックに取り入れた船戸の取材力には頭が下がる。題材を掘り下げて血肉を与えるのが作家の仕事ではあるけれど、ここまで作り上げた幾多のキャラクターたちも最後は流沙に飲まれる意図のもとに駒として動かされている現実の重みのような息苦しさが、現実の中国の息苦しさと相まって相乗効果を上げているようであります。その中で天衣無縫のまま登場する老人の生き生きとした現代の大陸浪人ぶりが異彩を放つ。滅びの日へのカウントダウンを先延ばしにしてくれる存在。彼こそがキーワードになって陰謀が白日の下へ…と思いきや船戸の筆は非情でした。あくまでカウントは予定通り。裏の裏で操る男たちと一人の女。彼らこそが黒幕…そう思って読み進むと、また…。

 見える景色は砂の色ばかり。そして紅に染まった大地。聞こえるヘリのローター音に答える男たちの姿はない。裏切りに次ぐ裏切り。誰が漁夫の利を得るのか。犯人は意外な人物。まさかの展開。後半立て続けに襲い掛かるアクションと諜報工作の釣瓶打ちにめまぐるしく翻弄され、流沙の塔の内部に読者も迷い込んでしまうのだ。老練な作者の問い掛けに読者はなんと答えるのだろう。これこそが中華社会の現実なのだ、と。人一人の死はさほど重要ではない世界の物差しと人権人権とやかましく軟弱に滅びつつある日出ずる国の住人たちとのギャップに、やがて誰もがおののく国家としての差が、これから生まれようとしている時代に直面していることを忘れずに直視しなければ、やがて時代の波に飲まれてしまうと作者は警告しようとしているのかもしれない。(98年7月読了)

題名:天使の囀り 著者:貴志祐介
出版:角川書店 1998年6月30日初版発行  
価格:本体1700円(税別) ★★★1/2

 『黒い家』の貴志祐介が放つ第3弾は、バイオハザード・ホラーとでも銘打てばいいのでしょうか(^^; う〜む、頭を垂れる猿のおぞましさよ。ウキキキ〜! この人がこの手の題材に手を染めるとこっち方面へ行ってしまうのだなあ、やっぱし。だからこそ貴志祐介ではあるのですが…。読んでいる途中、脱ホラーを目指してるのかなあ、なんて感じながら読み進みましたが、いえいえ、そんなことはございませんでしたぁ。紛れもなく『黒い家』は那須高原のセミナーハウスの中にあったのです。まさにリドリー・スコットのエイリアンの恐怖を彷彿とさせるセミナーハウスの恐怖。んもう、目黒の有名な某博物館には死んでも行かないぞ〜(^^;

 アマゾンの奥地からもたらされた未知の恐怖というパターンは最近では、『レリック』のンブーンちゅーのもありましたねえ。アマゾンなら何でもありかぁって多少辟易する部分もあるにはあるのだけれど、それ以降の展開で勝負する作者の構成力が我々読者の想像力を超えて紡ぎだした新たな恐怖こそが、エンターテインメント作家としての資質に直結しているようであり、脱業界ネタで勝負した意欲をも感じさせる作品ではあります。中途半端にオタク系に書き込んじゃったけど、この緩さは真のオタク読者には受け入れられるギリギリ許容範囲かな(^^; コンビニ店員のオタク描写が後半それほど生きてこなかった点にやはり不満が残る結末ではあるのだけれど、恐怖を乗り越え悪魔と天使を共存させるエピローグはなかなか良い後味でした。

 初めに猿ありきは、映画『アウトブレイク』。エイリアンもそうだけど、物語のそこそこに映画の影響が散見されるのも、文章だけで紡ぎ出す恐怖というものが希薄になりつつあるという証拠なのかもしれませんね。映像的視覚的に訴えかける即物的ホラー全盛時代ですが、文章力だけで怖がらせてくれるホラーもこの夏期待したいものです。でも、即物的なのも嫌いじゃないんだけどね。(98年7月読了)

題名:グランド・ゼロ 彷徨える絆 著者:北野安騎夫
出版:徳間書店 1998年1月31日 初刷  
価格:本体905円+税 ★★

 近未来SFエンターテインメントと銘打って、意味ありげなカバー・イラストがなかなかそそるもんで期待して手に取ったのですが、美味しそうなバイオ・ハザードねたを題材にとった割に、その素材を生かし切っていない。あとがきによると、まず、イメージありき、だったらしい。ラストシーンを想起して、そこから物語を構築したらしいんだけど、残念ながら作者の想像力の限界が物語の成熟を阻害してしまった印象が強い。これだけの素材を用意したのなら、いくらでも美味しく料理できたはずなのに、最初のイメージに執着したために超えられなかったハードルが、ノヴェルス止まりの作品となった要因でもあるように思う。ただ、ノヴェルスでも超絶面白作品があるし、ノヴェルズならではの破天荒さを楽しむ読者も存在するのだから、一概には言い切れないけどね。

 なぜ、もっとアスカを生かさない? 須藤って所詮その程度のリタイアしたヤクザくずれだったの? なぜ、ハルカとの劇的な邂逅にもっとページを費やさないの? ゾンビー・シンドロームの解決策も見えぬまま、物語はバイオハザード爆心地に収束してしまう。相馬だって氷の男のうちに潜むハートの部分をもっとのぞかせてもよかったのではないか。

 美味しい部分をこれでもかこれでもかと書き込む。ノヴェルスの熱気ってえのは、ここにあるとワシは考えるのだ。妙に整合性を考えて物語を小さくしないで下さい。SFなら破天荒に突撃あるのみ。広げた想像力の翼が閉じなくなっちゃうぐらいの暴走もノヴェルスなら許されちゃうってとこあるでしょ(^^; (98年7月読了)

題名:神々の山嶺 上、下巻 著者:夢枕獏
出版:集英社 1997年9月16日第3刷発行  
価格:各本体1800円+税 ★★★★

 男たちの胸の奥底に深く沈められた疵跡を抉じ開けるには、やはりこれだけの頁を費やさなければこの物語の深度にまで到達しないであろうことは、多くを語るまでもあるまい。読者は納得づくでネパールから遥か高峰エヴェレストへと深町や羽生が辿った道を再体験する。行間から立ち上る冷気と男たちの体から迸る熱気。苦痛すら感じるほどの獏さんの描写がグイグイ食い込む。迫力。迫真力。等身大の男たちの息遣いが、簡潔に流れるような文体に鋭く食い込む。抉る。余白が余韻を生むのだ。詩的ですらある。だから感動が深い。渾身の一作。彼の小説の集大成と言っても良いのではないか。

 過去に疵を負っていない清廉潔白な人間などいない。男も女も真実の姿をさらけ出してしまう魔力が山は持っているのだろうか。穢れをも祓う聖なる存在。そこにあるから登るだけの山は、いつのまにか神聖さすら帯びてゆく。マロリーのカメラから紡ぎ出された物語は、遥か八千メートルの高峰へと収束して行く。シンプルに、ただ山を登るだけの物語へとメタモルフォーゼしてゆく。征服し生還する。ただ、生きる。そして、『想え!』。羽生の手記のインパクトは、この一言に凝縮されている。圧巻である。

 南西壁頂上直下ウォール。深町の一言は何故に発せられたのか。羽生には選択肢は残されていなかった。必然とも言うべき結末。登山家としての嫉妬が言わせたのか。それは分からない。ただ、成功と、そして失敗への期待。どちらでもいい。羽生の辿るべき道を知らしめた伝道師のような神の僕として生き抜いた深町。神に立ち向かえ。神々の山嶺。そして人間賛歌がここにはある。(98年5月読了)

題名:逃亡 著者:帚木蓬生
出版:新潮社1997年5月30日発行  
価格:本体2300円(税別) ★★★

 書き下ろしという割には、なんだか雑誌連載みたいに重複する記述が目立ったりするのだけれど、二千枚という厚さが気にならないくらいスルスルと読み進めます。逆にその辺が軽さとなってもう少し重厚さを求める読者には不満が残る作品となってしまった感が否めないような気がするのです。

 帯にあった『熱い感動』を求めて読み進むと、そこには中途半端にカットバックされるエピソードが物語の連続性を阻害しつつ、尻切れとんぼで熱い感動に水を差すのだな。トータルで読後に湧き上がる感動には偽りなしなのであるが、出たり入ったりの物語構造がついには鬱陶しくなったりする部分もあたりなんかしちゃって(^^; う〜む、手放しで誉めるわけにはいかない作品ではある。

 終戦後のどさくさに、こういう裏物語もあったという佳作と捉えると結構腑に落ちるかもしれない。あくまでストレートな戦争を本幹として、サイドストーリーとしての戦犯、しかもB、C級の戦犯物語。かえって逃亡生活のディテイルを味わい尽くす読み方が正解かもしれない。それにつけても、右翼を刺激する天皇批判をよくぞここまで書き込んでくれました。私は同時代の人間ではないので、否定も肯定も出来ませんが、こういう反応は当時、表立っては無理でも、陰では世論を二分したんだろうなぁと感じ入ってしまいました。

 ラストの感動は九州の妻子にまで取っておいて欲しかったのは私だけではあるまい。やけに急いだ巣鴨編ではあります。なぜに書き下ろしでここまで急ぐのか、ちと不思議に思いました。最後にそうなった香港事情をその背景とともに書き込んでくれたら、それなりに感動は深まるのに…と思わざるを得ませんでした。あ〜もったいない。

 一兵卒としての殺人行為は戦争行為として認定できても、軍服脱いだだけで中身は兵隊の憲兵がスパイを処罰する行為を戦犯として裁く戦勝国の論理に、昔から連綿と続く『勝てば官軍』という理をいやというほど考えさせられてしまいました。広島や長崎に原爆投下したB-29乗り連中は、あちらさんでは英雄だもんな。(98年4月読了)

題名:メドゥサ鏡をごらん 著者:井上夢人
出版:双葉社  97年2月25日 第1刷発行  
価格:1800円(本体1748円) ★★1/2

   ああ、これも一種の『リング』なのね。一種の円環に閉じ込められた登場人物たちの足掻き。もしくは蟻地獄。中盤からグングン怖くなってきます。この辺のホラーのドライブ感がなかなか読ませるのでありますな。

   ただ、怖さという点では、物語的怖さよりも田舎の人々の素朴さの中に潜む土着的な差別感覚の方が何だか怖いぞ。この国の行く末を覗くようで…。井上夢人の描く話はこういう傾向の作品が増えてますが、岡嶋二人時代には見られなかった部分=井上の資質がここへ来て一気に開花している様でもありますね。

   井上氏はWEB上でも小説を発表するなど、電子メディアへの造詣も深いようなので、作中のパソコンを使ったやりとりの詳しさも納得出来るところです。メールを利用するアイデアはなかなか美味しいよね〜。 (98年1月読了)

題名:レディ・ジョーカー  上、下巻 著者:高村 薫
出版:毎日新聞社1997年12月5日発行  
価格:各本体1700円+税 ★★★★★

   未曾有の読書体験を与えてくれたと言っては大袈裟か。それほどまでに高村薫渾身のメッセージであった。題材をあえてグリコ森永事件から取ってノンフィクションのように進行する犯罪を攻守両コーナーから俯瞰する高村薫の目は天の裁きを放つ者か、単なる傍観者のものなのか。それほどまでに淡々と進行する誘拐犯罪は、彼のグリコ江崎社長誘拐事件と読者の頭の中でシンクロするのだ。

   確かに物語はここからヒントを得たのであろう。実際、なるほどと思わせる迫真感はそのままグリコ事件の真相であってもおかしくない。ただそれだけでないのは、読了なさった方ならすぐ分かるはず。腐敗する企業と日本経済の暗部がクロスオーバーする闇の黙示録として我々の眼前に料理してサーブしてくれた高村料理長の手練手管を隅から隅まで味わい尽くそうではないか。あえて読者に問う。ラストでの風景描写に織り込んだ実在のグリコ社屋。現実とのリンクを読者にさらに明確にしておきたかったのか>高村薫。

   企業という表看板。もう一つの別のアンダーグラウンドな部分にメスを入れた高村薫の意図はどの辺にあるのだろうか。切っても切れない腐れ縁。抗しきれない大きな潮流に飲み込まれた男たちの儚い足掻き。個人の意志を超越した有機体としての企業の一個の意志の流れ。刑事一個人では蟷螂の斧でしかない現実。エピローグで提示された高村的結末。刑事的に決着を見なかった作劇手法は本人も語るようにミステリとしての範疇を超越して文学としての香りを身付けつつ、次回作への危惧をも感じさせる高村個人の成熟を感じさせる10年に1度の大作と言えよう。

   それにつけても、高村薫が読みやすい文章をいとも簡単に身に付けたとは驚き半分納得半分なのだ。マークス>照柿>レディと直木賞受賞時点よりさらに進化してる高村薫の筆の冴えに読み手はただ平伏すしかないのであるな。ただ、相変らずDEEPな取材は分かるんですけど、些細な嘘をまことしやかに書かれても、あれ〜と首をかしげる個所も何個所か。ま、私自身、新聞屋っちゅーことも多分に関係してきますが…。そういう眼で見られちゃ作家も困っちゃうけどね(^^;

  高村薫の作劇法の基本は、まず登場人物の架空のバックグラウンドを構築することから入るそうですけど、読み進めばなるほど納得の登場人物のリアリティ獲得ではあります。たとえプー太郎でさえも無職としてのプー太郎として捉える作家の眼をしっかり確認させて頂きました。それゆえの揺らぎない高村ワールドが我々読書家の眼前で力強く展開するのでありましょうね。週刊誌f連載に大幅加筆修正を加えた高村の作家的良心に心から拍手を送りたい。「あんたは偉い」ってね! 決して好きじゃない高村作品ですが、次が出れば必ずや手を出すでしょう。

書名:D―ブリッジ・テープ D-BRIDGE TAPE 著者:沙藤一樹
出版:角川書店 平成九年六月三十日 初版発行  
価格:本体1000円(税別) ★★★

 『黒い家』と同時期に日本ホラー小説大賞短編賞を受賞した問題作である。近未来の横浜ベイブリッジ。そこにあふれるゴミの山。D―ブリッジのDはDUSTのD。物を捨てる。心を捨てる。子供を捨てる。人であることさえ捨てるのか。

 溢れ返ったゴミの山の中から発見された少年の死体と一本のカセットテープ。聞けこの叫びを。ここにはホラーを超越した哀しみが溢れていることに気付くだろう。物語の進行はほとんど会話体で進行する。テープを聞く作業が発端なのだから当然といえば当然。居眠りする役人たちのまどろむ夢うつつの世界ともうひとつ別の世界がテープの中から掘り起こされる。究極の自給自足。悪夢のサバイバル。生きるための現実がポッカリ黒い口を開けて読者を呑み込むのだ。

 救いはもう一人の仲間。生きていた証し。そして永遠という名の別れ。作者の突き放したような表現方法は、痛みを伴って生を高らかに詠い上げる。そして、死。叫び続ける魂が近未来の横浜ベイブリッジを駆け抜けて行った日々。詩情さえ漂う短く刻まれた文章に深く沈み込んだ小一時間。早稲田の在学生がここまで書いたことに驚きを隠し得ない。貴重な才能がここに生まれたのかもしれない。長編にチャレンジしてくれることを期待しつつ、キャッスル6区ではなくこの会議室に書き込もうと思う。
(98年3月読了)

WB01337_.gif (904 バイト)ホームへ戻る