2007/9/27
 
梅花心易精義 正誤表
 

 いくら校正を繰り返しても、どうしても間違いはでてしまいます。
 ここに、自分で気がついた間違い、更には指摘していただいた誤記を訂正しておきますので、宜しくお願いします。
 
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 赤文字は間違い ・ 青文字が正しい文字です。
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・ 096ページ 6行目
 質問1 この先天法では、一時間以内は → この先天法では、二時間以内は、または 同一時間内は と書いたはずでしたが。
 
 
 
・ 「別冊」055ページ 人名用漢字表 【大石先生からご指摘を頂きました】
 
 (漢字)小 (よみかた)こ (画数)03 → (漢字)小 (よみかた)こ (画数)04
 
 
 180ページ  失せもの占にて之卦の「坎」が抜けてしまっています。原稿にはちゃんと書いてあるのですが、こういうこともあるのですね。以下を補足して下さい。【高橋先生からご指摘を頂きました】
 
 「坎」 : 北にあるとか、水辺とか、井戸・溝・沼などのところ、または酒や酢・魚や塩などのあるところにあるとします。
 
・ 50ページ 最後の行 【うふちゅん人さんからご指摘をいただきました】
 
 『想禄』をお読み下さい。 → 『近思録』をお読み下さい。
 
※ 書名を間違えるなんて、パソコン時代ならではの間違いですね。「近思録」などは辞書に入っていませんので、ご指摘の通りに「近い」「思い」「録」と打ったつもりが、「近い」「想い」「禄」になっていたようです。
 この書名の読み方は 「きんしろく」 です。
 
・ 259ページ 7行目 【宮嶋様からご指摘をいただきました】
 
 雷地豫 爻変 → 雷地豫 爻変
 
 
 


 易卦の相生相剋の矢印につきまして  (2007年9月16日・26日)
 
  濃い青色は補筆したものです。
 
 梅花心易では、特に八卦五行の相生相剋を使いますから、拙著には相生の矢印・相剋の矢印をなるべく書き込んであります。
 
 ところが実際に本が仕上がって見ますと、前著 『秘伝 梅花心易入門』 の場合もそうですが、最終のチェックできちんとなっていたものが、トンでもない形になっていることが多々あります。 相生相剋が反対になっていたり、矢印自体が全く間違っていたりしているのです。
 
 ひどいケースでは、算木そのものが間違っていたり、易卦に全く違う象意が書かれていたりします。例えば、入門のほうの93ページですが、互卦の離火のとなりに、 (馬) という文字が書かれています。
 
 ■■■■■
 ■■  ■■ (馬)
 ■■■■■
 
 これは、著書の手を離れてしまうと、あとは出版社のかた任せになってしまい、原著者としてはもう、いかんともしがたい実例の一つなのです。
 
 出版社のかたは占いの専門家ではありませんし、人間ですもの間違いはあるものですが、専門家ではないからこそ、間違えてもそれに気がつかない箇所もあります。
 
 そして今の時代はパソコンでの編集ですから、編集の時に易卦などの図はコピペして使うらしく、例えば「入門」の上記の間違いは、41ページの易卦をそのままもって来て、(馬)の文字を消すのを忘れたのではないかと思われます。
 
 出版以前には、何度も著者と出版社との間を原稿が行き来をし、『精義』の場合は5回、校正をやりました。自分がかいたものは何度丁寧に読んでも、間違いを間違いとは気がつきにくいものです。そのために他者を入れて校正するのですが、それでも間違いはでます。最後の校正は著者が行い、原稿には「著者責了」と書きます。これで間違いはない! という事になるのですが、仕上がってみると、その時にはなかった間違いがでていたりします。
 
 ご購入いただいた方には大変に申し訳ないのですが、印刷ミスは絶対にあると思って下さい。最終段階では、もう著者の力は及びません。 著者としても、その内容が間違ったまま、自分の名前で本が世の中に出ているというのは、慚愧にたえないものです。
 
 また、この相生相剋に関しましては、初めて梅花心易を学ぶ方には、文章として書かれている大原則と図(易卦)とが違う場合、図が間違いであると確信して図を直すようにまでなっていただけたら、その時点で既に梅花心易が相当におできになっておられます。 著者としても恥をかいた甲斐があろうというものです。
 
 最後に私の経験をお話致します。
 
 十代のころ、ある本の間違いに気がつき、著者にお手紙を出した事がありました。最初は丁寧にお返事をいただきましたが、本の間違いが数カ所あった為にその後何度かお手紙を出したところ、
 
 本に間違いはあるのが当然だ。落丁・乱丁もある。考えれば分かるような基本的な事について、出版社のミスに過ぎないものをどうしていちいち鬼の首でも取ったように言って来るのか。自分でしっかりと考えて本の間違いを直せないようなヤツは、勉強など止めてしまえ。
 
 というお返事をもらった事があります。
 
 その時は大変にむかつきました。
 「初心者が最初から間違って覚えたらどうするんだ。きちんと覚えたいから質問をしているのに、そんな事をぬかすなら、テメーのところの住所なんか、本にかいておくんじゃんねえ!」
 と、本を壁にたたきつけた事があります。
 
 ところが面白い事に、私は何か問題があると必ずリンクして似たような事が起こるもので、この疑問は別の方面で解決したのです。
 
 それは高校1年生、英語の授業時間でした。教科書以外に渡されたプリントを和訳する勉強の時に、読めない単語があって、訳せない一文がありました。 分からないものは仕方ありません。 そのままにしておいたら、運悪く(?)指名されて答える事になりました。分からない旨を告げると、その時の英語の先生はこう諭されたのです。
 
 「いいか。それは印刷ミスだ。 だから辞書にも載っていないのは当たり前。しかしだ、T と R の打ち間違いだと気がついてきちんと翻訳をしてこそ、本当に本を読んだということになる。お前のは、まだ本の文字を読んでいる段階だ。 本の内容を読まなければ、読んだ事にはならないのだぞ。」
 
 「でも先生。間違えたのは本の著者です。読めなくても当然ではないのですか。著者には間違えた責任はないのですか」
 
 「ないとは言わない。我々は金銭を払って購入しているのだからお前が怒るのも分からないでもない。だが、勉強するのはお前自身ではないか。自分の頭で考え、他人の間違いに気がついてそれを直しても和訳できてこそ、翻訳をした事になる。翻訳とはそういうものだ。自分が向上するのは自分の責任だ。本に間違いがあるから分からない、読めないといって著者の責任を追求している暇があったら実力をつけろ。」
 
 このように言われてハッとしました。 先日、本を壁に叩きつけたばかりだったからです。今、私がしなければならない事は本の著者の言いたいことをきちんと本から読みとり、自分の血肉にすることなのだと、考えを変えました。
 
 結局私がここで教わったのは、本を読む時には書かれてある事を無批判に鵜呑みにするのではなくて、どのような場合でも類推・推理・洞察力をもって本を読まなければならない、と言うことでした。 誤字脱字でなくても、よく言われる 「行間を読め」 ですね。
 
 それが今回の『梅花心易精義』のような、一応、専門書と言われるものであればなおさら、幼稚園児ではない、大の大人が読んでいるのですから、 「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥、私は知りたい事は聞きます」 などと言って、ちょっと考えれば分かるような事を、一面識もない人間にメールで何度も聞いて来るのはおかしいということです。 まして、師弟関係にあるのではありません。言い換えれば一読者に過ぎないのです。
 
 また、基本的な内容の印刷ミスについて指摘してくるのではなくて質問をしてくるというのは、入門から書いてある拙著をちゃんと読んでいないか、類推力のない方だと言うことになります。百歩譲れば、もっとまえからやり直さなければならないかもしれません。 つまり勉強の手順を間違えているのです。
 
 例えば津田左右吉先生の論文は、引用してある漢文は白文のまま。返り点も書き下し文もありません。 不親切だと言う指摘に津田教授は「漢文をそのまま読めないようなヤツは、オレの論文を読むには早すぎる」という趣旨の事を言ったそうです。
 
 本を読むには手順とか、順番があるという事なのでしょう。
 
 
 それから社会にでてから、アポロの月面着陸の時に同時通訳をした西山 千 先生が、アームストロング船長の「この一歩は小さな一歩だが、人類にとっては偉大なる進歩だ」という言葉を、ちょっと首を傾げてきちんと上記のような日本語に直されてから2〜3日後、アメリカのNASAが、「どう考えてもここには a という不定冠詞が入らなければ、意味が通じない」と発表した事を知った時、再度、英語の先生が教え諭してくれた(まさに教諭ですね)事が思いだされ、その後の私の本の読み方、勉強方法に基本の一つが定まりました。
 
 特に学術については、常に根本をつかむようにし、推理しながら本を読む。鵜呑みにしない。  推理力が大切。
 
 
 これを皆さんに強要するものではありませんが、他動的なミスを鵜呑みにして自分が間違えたり、進めなくなるのはあまり意味がないと思います。そのようなものを乗り越えてこそ実力がつくのは本当ではないでしょうか。
 
 ちなみに中華の書籍は、誤字脱字・落丁が当たり前です。それでも多くの術者は、中華の書籍を読んできちんと理解しております。中国にまで文句の手紙を書いたという方の存在は、寡聞にして知りません。
 
 例えば、術の世界で大先輩の内藤先生は、「自学自習のできないヤツは何をしてもダメ」と断言しておられます。
 
 このHPでリンクをさせていただいている林巨征先生も、ご自身のHPで「自分が本を出してみて、それがいかに大変かが分かった」 「自分が本を出して以来、他の先生の出版物の批判は一切しない事にした」と書いておられます。(詳しくは先生のHPの出版事情をお読み下さい)
 
 
 質問をしてきたある方に上記の自分の経験をお話したところ、
 
 「お前は自分が出版した教科書的本を全部読んだか。確認したか」
 「正誤表の指摘はお前自身のものより人様のものが多いのはなぜだ」
 
 と言われましたが、いちおう全部読んでいます。それでもミスを見落としてしまう理由は上記に既に記してあります。 また、皆様に指摘いただいた内容は、基本的なものから、大石先生のように別冊の画数表までつぶさに読んでのものまであります。誤字・脱字、印刷ミスは、ご指摘いただいた順に記載していますが、「うふちゅん人さん」のご指摘は、 『うふちゅん人の日知録』 というブログに記載されてあったものを私がたまたま見つけてお礼を述べたものです。『近思録』などは、中国宋代の哲学を勉強していない人は、いくら校正の名人であっても分かるわけもありません。知識として普通は必要ないのですから。
 
 ですが大石先生や高橋先生は、易卦の矢印などの基本的なミスについては指摘しておりません。これは大石先生や高橋先生が見落としたのではなくて、印刷ミスを当然として、またその程度は読者がご自身で直されて当然と考えておられるからだと思います。
 
 上の言い方をされた方は、何度も拙著を読んだと言っていますが、それでは最初に読んだ時に大石先生や高橋先生と同じ箇所を指摘できたのでしょうか。そこまで仰るならば、ご自身が出版なさる時には是非とも、印刷ミスが全くない御本を出していただきたいし、もし印刷ミスがあれば、読者のどなたからも間違いを指摘されないうちにご自分で全ての間違いを公表していただきたいと思います。
 
 はたしてそのような事が本当にできて、そのような時間があるでしょうか。ご自分でやってみれば分かりますよ。
 
 ちなみに手紙の最後に書く不再見などという言葉は中国語には存在しませんよ。でも、あなたの言いたいことは良く分かります。「テメーには二度とメールはしないぞ。覚えていやがれ」ですよね。
 
 今後とも、ご指摘いただいたミスはここに掲載致しますが、印刷ミスがある事についてはご容赦願います。そして基本的な図の間違いなどは、ご自身で訂正をお願いします。
 
09月26日 補筆
 
 研究社出版からでている 『精選英文 47』 という問題集があります。1989年度(平成元年)の大学入試で出題された良い文章を集めた問題集です。これは私が長年家庭教師をしていた関係で、いまだに手元に置いてあるものですが、明治学院大学・文学部英文科で出題された問題文に以下のようなものがあります。 面倒ですから抜粋して、和訳して紹介しますと、
 
 賢い子供と賢くない子供を長年にわたって観察し、比較してきた結果、その両者は非常に違った人間である事が分かった。 ……… 賢い子供は実験を好み、物事を実地に検証することが好きである。賢い子供の生活信条は、ゲームに勝つ方法は一つではない、ということである。あるやり方で何かができなければ、別の方法でやってみる。 しかし愚かな子供は通常怖くて試してみる事すらできない。一度でもやらせようとするのに大人が何度も何度も薦めなければならないし、一度やってみてうまく行かないとそこで終わりにしてしまう。
…… 賢い子供は自分が格闘してきた問題への取り組み方や解決方法を他人から教えてもらいたくないと思うが、それは自分で解決するチャンスを奪われたくないからだ。が愚かな子供はこうはいかない。 …… 答えがいち早く自分で得られないと、他人からすぐに与えられるべきだと思う。そして全ての問題について答えが得られないと承知しないのである。
 
 これはたしかでしょう。
 一度映画館でやられた事ですが、馬鹿なカップルが後ろに座ってとトンでもなく迷惑した事があります。  それは、映画が始まったとたんに、バカ男は自分が先にこの映画をみてどんな感想を持ったかを、連れの女に聞いてもらいたい、自慢したいが為に、結末まで全部しゃべってしまったのです。 私にとっては、自分の楽しみを根こそぎ奪われてしまうのですからお話になりません。これ以後、後ろに人が座らないような位置に席をとるようにしました。
 
 小説でも、ワクワクしながら読んでいると、先に読んだ事を自慢したくて結論を言ってくるバカもいます。迷惑なのです。
 
 ですが、世の中には違う感覚を持つ人もいて、推理小説などは、「先に犯人が分からないと読んでいても面白くないから」と言って、結末を先に読んで、それから最初から読み直すという人もいるのです。私にはその感覚が理解できませんが。
 
 このHPの各所に書いてありますが、昔からの諺や格言、言い古された言葉や習慣でも、間違いは山ほどあります。 その一つが 「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」 だと私は思っています。 その理由は上に書いた通りです。
 
 オウム真理教があそこまで馬鹿な事をしたのは、自分の一生をかけて出さなければならない答えを、麻原如きに簡単に教えてもらおうとした信者ばかりが集まったからでしょう。元信者の一人は 「尊師はどんな質問でもたちどころに答えてくれた」 と言っていましたが、そのような事で感激するのは自分の頭で考える事を放棄しているからです。
 
 実際に私も長年家庭教師をしてきて、大変に口うるさい出しゃばりな年寄りのいる家の子供程、勉強ができない事に気がつきました。 それはその家の年寄りが口癖のように 「○○ちゃん、聞くは一時の恥、聞かぬは末代までの恥、といつも教えているでしょ。分からないことがあったら、ドンドン先生に聞くのよ」 と言い続けていたからです。その孫は見事に祖母の言う通りに、「聞く事」だけをして「自分で考える事をしない」子供になっているのです。
 
 こういう子供に 「考えさせる習慣」 をつけるのは無理でした。 考えさせているとすぐに答えがでないのにいらつき、勉強になりません。辞書の引き方を教えても自分で引かないで、単語の意味を私に聞きます。
 
 とにかく自分で考えないで、勉強が終わると親や祖母に 「あの先生は、私が聞いているのに教えてくれないで、何度も変な事をやらせてイジメル」 と言いつけ、相当なクレームをつけられた事があります。
 これはソクラテスのやった 「産婆術」 なのですが、現代日本では通じない方法のようです。
 
  ですから、「考えること」 をいくら説明してもその家の祖母はがんとして聞かず、「聞くは一時の恥、聞かぬは末代までの恥」 という言葉を楯に取り、悪いのは私だと言い張るので、「それなら答えだけを教えてくれる先生をさがしなさい」 と、縁を切った事があります。 勉強の方法をお話する仕事は、相手を客にとらえて、生徒に媚びてはダメです 教育は商売ではないのですから。 いや、商売も客に媚びてはだめでしょう。 いつから上手な商売=客に媚びること、に考えられてしまったのでしょうか
 
 このような経験があるからでしょう。これ以後 「聞くは一時の恥」 といってくる人間に対しては、私は虫ずが走る程の嫌悪感を覚えるようになりました。
 
 今回の 『精義』 は私のささやかな研究を皆様にご紹介し、結果を世の諸賢に問うているものです。
 ですから研究内容についてご批判やお叱りは是非お願いしたいと思いますし、ご指摘の中で新しい発見があればこのHPで発表致します。私とは、研究者同士としておつき合い下さい。

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