は じ め に

 暮らしと月とのかかわりでは、十五夜がもっとも身近な行事として親しまれてきました。 一般には中秋の名月を観賞する日と考えられていますが、日本では古くから望月(満月)を拝する 信仰がありました。満月は豊饒のシンボルであり、月光には神霊が宿っているとも信じられてきたのです。
 かつては、望月を区切りとした暮らしのリズムがあり、今日「小正月」と称される一連の民俗行事は、 その名残を示すものです。中秋の名月にかかわる行事は、中国から伝来したものといわれていますが、 当初は宮中での風流な観月が主体でした。いわゆる「月見」が一般庶民に広まるのは、近世以降のことと なります。ただし、これは都市部を中心とした状況で、農業を生業とする地域などでは、観月よりも 農耕儀礼としての性格が強く表れています。望月に対する信仰が外来の行事と習合し、多分に日本的な 十五夜行事の形成が図られてきたといえるのではないでしょうか。

●十五夜の供えもの

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十五夜と名月

●●●八月十五夜

(月の撮影:箕輪敏行氏)

 十五夜の行事は、中秋つまり旧暦(太陰太陽暦)の八月十五夜に行われます。ただし、「中秋の名月」 というのは、単に中秋の月のことをさしていますので、この月が必ずしも満月(望)になるとは限りません。
 「中秋」の意味は、8月15日が旧暦の秋である七月、八月、九月のちょうど真中にあたることによるもので、 同じ読み方でも「仲秋」となると、こちらは陰暦八月のことをさします。日本では、明治5年(1872)12月3日を 明治6年(1873)1月1日とする太陽暦(グレゴリオ暦)への改暦が実施されてされて以来、旧暦によって行われて いた行事などは、毎年日を異にするという事態を招くことになりました。中秋も例外ではなく、現行暦では年ごとに 変化しています。これは、それまでの太陰太陽暦が暦法上の約束事によって32〜35ヵ月ごとに閏月を加えなければ ならず、1年の長さが太陽暦よりも短い12ヵ月の年と、反対に長い13ヵ月の年が組み合っていたためです。 これにより、現行暦における中秋は、早い年で9月上旬から、遅い年では10月までずれ込むことになってしまいました。
 したがって、月の運行と直接的に関係しない行事は、次第に現行暦の日付で固定化されていきましたが、十五夜や月待 行事に関してはそれができなかったわけです。しかし、行事の本質が蔑ろになると、十五夜といえども新暦での固定化が 起こり、単純な月遅れで9月15日に実施している地域も少なくありません。もちろん、月齢は新暦にかかわりなく変化 しますから、満月なき十五夜の祝いを行うことになります。このような現象は、都市化が進んだ地域ほど顕著にみられる ようです。

●●●中秋の名月

 中秋の名月を観賞する慣習は、9世紀末から10世紀初頭にかけて中国より伝来した行事と 考えられています。中国においては、清時代の記述に「各家とも瓶花[いけばな]・線香・蝋燭を供え、 空を望んで頂礼する。小児たちは男女とも月下に膜拝[もはい]し、燈前にて嬉戯[あそ]ぶ」と あります(中村喬訳注『清嘉録』1988、平凡社))。時代は降っていますが、江蘇地方の民間で行われていた中秋節の ようすを知ることができます。
 日本では、平安朝以降、宮中や貴族社会で観月の宴が盛んに催されてきたようで、その性格について、 単なる内裏の行事ではなく、風流を尊ぶ季節の象徴として重んぜられた行事と受けとめられています (山中裕著『平安朝の年中行事』1972、塙書房)。それでは、なぜこの時期の月に関心が集まったのでしょうか。
 月は、その運動によって毎日ほぼ同じ割合で空を西から東へ移動しますが、これを月の出る時刻で みると、平均で1日51分ずつ遅くなっていきます。ところが、この時間はかなりのばらつきがあり、 秋分前後ではその約半分ほどの時間にまで縮小される日が生じます。したがって、これに近い満月 (つまり中秋の名月)の頃でも、月の出はかなり早めに推移しているケースが多く、それほど待たずに 月を拝むことができるというわけです。しかも、月の出が早いばかりでなく、地平線からの月の高さも 高過ぎず低過ぎず、ほどよく夜空にかかるため、天候の影響さえ考えなければ観月に適した季節である ことがよく分かります。
 ただし、観月の慣習が一般庶民にまで広まったのは近世になってからのようで、江戸では隅田川の 河口近くや深川、品川、高輪、駿河台あたりが月見の名所として知られていました。

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日本の十五夜

●●●月見と農耕儀礼

・横浜市の十五夜の供えもの(撮影:横山好廣氏)

 日本の民間で行われた十五夜行事は、どのようなものだったのでしょうか。日本における十五夜は、 古来の月を祭る信仰に外来の行事が習合したものと考えられますので、その内容には農耕儀礼的な 要素がかなりのこされています。
 十五夜といえば、多くはススキや花を飾り、さまざまな供えものをするのが全国的にも一般化した 行事の形態です。この供えものには、団子やまんじゅう、おはぎなどの作りもののほか、里芋、さつま芋、 豆類、大根などの畑作物、さらに柿や栗、梨、りんごなどの果物があります。その他、水や酒、灯明なども含めて 、これらは地域によってさまざまな組合せがあり、またその供え方ひとつとってみても、たいへん興味深い 変化が見られます。特にススキと里芋をめぐっては、この行事が単なる「月見」ではなく、農耕儀礼としての 性格を強く示唆する要素として注目されています。中国でも地域によって家庭ごとに祭壇をつくり、月餅や 芋の煮物、柿、栗、蓮根、菱などを供えたといわれ、これに類似した習俗は、他のアジア諸国にも見出すことが できます。

●●●月とススキ

 十五夜にとってススキ(カヤ)は欠くことのできない植物ですが、これは秋の七草のひとつ(尾花)にも なっています。かつては、屋根を葺く素材として大量に利用され、また炭焼きのさかんな地域では、炭俵を編む 材料としても使われるなど、人びとの生活に有用な植物として位置づけられてきました。半栽培的な カヤトの維持・管理などは、その典型的な例といえるでしょう。
 ススキには、本来的な役割として呪術力をもつとする見方がありますが、これは同じイネ科のチガヤなどにも 認められます。たとえば、沖縄や八重山地方の島々で行われるシバサシは、「時間と空間を守る」ための魔除け と考えられています(野本寛一著『軒端の民俗学』1989、白水社)。また、各地で行われる「茅の輪」に関連した 行事も、同じ理由にほかなりません。ススキが農耕のさまざまな場面で利用されている事実は、国内ばかりでなく 中国や台湾などでも多くの事例が知られており、いずれもススキに秘められた霊力に対する信仰がその基盤に あります。こうしたいくつもの流れが、互いに影響を及ぼしあいながら十五夜のススキへと連なっていることを 考えれば、農耕儀礼としての位置づけが一段と鮮明になるでしょう。
 それでは、十五夜におけるススキの重要性について、関東地方における調査資料からその概要をまとめて みましょう。

・写真(左):門口にさされたススキ〈埼玉県〉/ 写真(右): 畑に立てられたススキ〈山梨県〉

@ススキを利用した習俗
* 十五夜の晩には茅の箸で食事をする(埼玉県)
* 十五夜の膳に茅の箸を供える(東京都)
* 茅で箸を作り、赤飯を炊いて食した(神奈川県)
* 茅で作った箸を15組供え、子どもたちが各家をまわって茅箸で野菜ごはんを一口ずつ食べる(山梨県)
Aススキの処理に関する習俗
* 大根畑や他の野菜畑にさしておく(茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県)
* 家の門口や垣根などにさしておく(栃木県、群馬県、埼玉県、東京都、千葉県)
* 稲荷さまへ供える(群馬県)
* 庭の木にしばりつける(埼玉県)
* 川へ流す(埼玉県)
* 道路の辻におく(埼玉県)
* 屋根の軒などにさしておく(埼玉県、東京都)
* 燃やして灰にし、人が踏まない場所に埋める(千葉県)
* 庭にさしておく(神奈川県)
 以上の事例は、関東地方の畑作地域や山間部を中心にのこされていることがわかります。習俗そのものは 一部の地域で現在も継承されていますが、その目的や意義についてはほとんど失われてしまいました。

●●●十五夜花

 十五夜に供えられるススキは適当な空きびんか花びんにさすのが一般的ですが、かつては 地域によって「ハクチョウ」と呼ばれる注ぎ口の長い徳利が利用されていました。ススキの本数は、まれに15本 というところがあるものの、多くは5本(十三夜は3本)というのが一般的です。
 ところで、地域によってはススキといっしょに季節の花を供えるところがあり、これは十五夜花とよばれています。 利用される花は地域ごとに特徴があり、代表的な植物を以下にまとめてみました。

◆十五夜花として利用される主な植物〈左:ワレモコウ、右:ヤマハギ〉

種名(方言) 備考
キク科 シオン、ノコンギク、ユウガギクなど  
キキョウ科 キキョウ 秋の七草
オミナエシ科 オミナエシ 秋の七草
マメ科 ハギ類 秋の七草
バラ科 ワレモコウ  
イネ科 (カルカヤ) 地域により異なる植物をさす

◆利根川流域における十五夜花の利用
 中流域では、ほとんどの地域でシオンが利用されていますが、下流域ではオミナエシやハギ類を主体として さまざまな花の利用が認められます。ただし、流域以外の地域では、埼玉県などでもオミナエシやハギ類、 キキョウ、ワレモコウなど多様的な利用が図られていました。

植物種中流域下流域
群馬県南部栃木県南部 埼玉県北部 埼玉県東部茨城県南部千葉県北部
シオン
キキョウ
オミナエシ
ハギ類
ワレモコウ
(カルカヤ)
注)◎:主体的に利用 ○:一般的に利用 △:稀に利用

●●●月とイモ

 「芋名月」は十五夜の別称で、この行事に縁の深いサトイモ(里芋)に因んだ呼称です。日本では、 十五夜ばかりでなく正月にもサトイモを食べる慣習が各地にありますが、中国においても地域によって イモ(多くは里芋)は中秋の夜に欠かせない作物であったようです。また、同じ仲間であるタロイモは、 東南アジアからポリネシアの島々にかけてたいへん重要な食糧でした。
 日本では、「月見団子」のことばどおり、十五夜に団子を供えるのが一般的です。これは、丸い団子が 望月を象っているとの伝承もありますが、各地の事例をみるとすべてが丸いというわけではありません。 たとえば、
* 静岡県の一部地域 団子を平たくして、中央にくぼみを付けたもの
* 奈良県の一部地域 団子を楕円状に平たくし、その上に餡をのせたもの
* 新潟県村上地方、愛知県名古屋地方、京都、大阪など 団子の頭をとがらせたもの
など、さまざまな形があります。このうち、最後のものは里芋を表現した形を思わせます。


・写真〈左〉:芋名月の里芋 / 〈右〉は栗の実〉

●●●十五夜の貰い歩きと盗み

 十五夜の供えものを、子どもたちが貰い歩くという伝承が各地にあります。早いところでは大正時代に 途絶えたようですが、昭和の大戦後も細々と行われていた地域があります。その内容も、家の人に見つからない ように盗む場合もあれば、家の人が黙認するかたちで持って行く場合、さらには家の人に許可を得てから 持って行く場合など、地域によりさまざまなパターンがみられます。いずれにしても、このような習俗が地域の 子どもたちによって支えられていたことは、ほぼ共通した要素となっています。
 これに関連して、「十五夜の晩にはどこの畑の芋でも盗ってかまわない」とか「十五夜にはよその家の柿を 盗んでもよい」などの伝承が、やはり各地にのこされています。おそらく、月を豊穣や生殖などの根源的な対象と みた古来の考え方に基づくものでしょう。いずれにしても、このような「盗み」の行為がなぜ十五夜に行われるのか。 今のところ、明確な考え方は示されておりません。関東地方の一都六県に山梨県を加えた地域でも「貰い歩き」の 伝承は広範囲に分布しており、なかには興味深い習俗がみられます。
a.十五夜の供えものを盗まれると「これはお月さまが食べたのだから」といって喜ぶ(茨城県)
b.「井戸を貸してください」といって家人の注意をそらせている間に供えものを盗む(群馬県)
c.供えものだけでなく、庭の柿を盗んでも罰にならない(埼玉県)
d.十五夜の晩は、何を盗ってもよい(埼玉県)
e.家人が茅と芋の葉を立てて子どもたちになんぞ(なぞなぞ)をかける。「山じゃコイコイ、畑でイヤイヤ なーんだ」といわれて、「茅の穂と芋の葉っぱ」と答えればよいが、もし間違えると供えものを貰うことが できなかった(東京都)

埼玉県における「十五夜の盗み」に関する習俗の分布図

 十五夜に供えものを貰い歩くことは、社会的にもその地域で半ば公認された行為であっただけに、子どもたちに とっては待ち遠しい行事の一つとされていました。そこには、ごちそうをたくさん食べたいという願望と、いかに うまく供えものを盗むことができるかという遊び感覚の楽しさがあったといわれます。また、盗まれる(あるいは さげてもらう)側では、供えものを失うことが翌年の豊作につながるという期待感をもつことができたのでは ないかと考えられます。aの事例は、それを具体的な思惑として表現したものでしょう。
 供えものをこっそりと盗む方法としてもっとも一般的なのは、少し長めの竿(棒)を利用するやり方でした。竿の 先端には釘がとり付けられており、この竿を遠くから操りながら団子やおはぎ、柿などを突き刺して盗ったという わけです。ところが、地域によってはこうした貰い歩きの習俗が全く伝承されていないところがあり、調査記録にも 「十五夜に供えたものは、家族でいただく」などの伝承を散見することができます。
 貰い歩きという方法にいくつかのタイプが存在することは、そのルーツが「家人に知られないようにこっそりと さげる」行為であったと推測されます。これを単に盗みということばで表現していたことから、行事が次第に形骸化 するなかで本来の意義が失われ、社会的観念としての盗みに対する考え方の変化なども加わり、地域によっては 罪悪感を生じさせない方向へシフトしてきたものと思われます。その要因は、子どもたちではなく、おそらく 大人社会の考え方の変化によるものでしょう。

●●●十三夜

・埼玉県秩父市浦山地区の十三夜の供えもの
 中秋に続いて、旧暦9月13日に行われるのが十三夜です。十五夜と同じように、この夜の月が 必ずしも十三夜月になるとは限りません。十三夜の月は、望月前の少し欠けた月ですが、日本では 十五夜の月と同じように丸い鏡として捉えられていた側面があります。その理由はよくわかりませんが、 十三夜は日本で生まれた行事という見方が一般的です。
 供えるものは十五夜に準ずるところが多いようですが、ススキの本数や団子の数で区別している事例が 各地にあります。ところが、十三夜には豆を供えるという地域もあり、十五夜の「芋名月」に対する 「豆名月」の意味がよく示されています。
 なお、日本では「片月見はいけない」という伝承が各地にありますが、これは十五夜を行ったら必ず 十三夜もしなければならないという戒めを語りえ伝えたものです。このように片月見が禁忌とみなされた 背景には、生業と天候にかかわる信仰上の事情があったためでしょう。十五夜よりも十三夜のほうが晴天を 期待できるという日本の気象パターンからすれば、2回の月見のうち、どちらか一方は必ず月を拝し、 その年の収穫を祝うとともに翌年の豊作を祈願したいという意識がその根底にあったとしても不思議では ありません。「十五夜がだめなら十三夜がある」という切実な想いは、各地の伝承や俗信からもはっきりと 窺うことができます。

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各地の行事

●●●何を供えるか?

 下の表は、十三夜も含めて関東地方での調査資料をもとに供えものを比較したものです。 これらは、同一の市町村内であっても異なる場合が多々あり、単純ではありませんが、サトイモが 多くの地域で供えられているという事実は、この表からも確認できるでしょう。

地 域供えもの行事
ススキ草花 団子饅頭餅類 米飯里芋豆類 大根豆腐果物 神酒 内容
茨城県新治村
栃木県野木町
群馬県板倉町
埼玉県美里町
埼玉県小川町
埼玉県騎西町
千葉県野田市
東京都奥多摩町
東京都東大和市
神奈川県藤野町
山梨県秋山村
山梨県上野原町

●●●関東・信州地方の十五夜

 関東地方では、畑作地域において箕の利用が顕著で、稲作地域の机や台とともに主要な分布を示します。 また、長野県では屋根に供える場合があります。

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