第31回             ネルソンの確率量子化法


第10回「存在論的、光子論」で“波動関数は実在”かという問題を出した。

量子力学が出来上がった後でも、この“あるのかないのか分からない波動関数というやつが気持ち悪くてしかたがない、粒子はあくまで粒子ではないか”と思う人はいた。
シュレディンガー流の波動力学は、ド・ブローイの"物質波”という考えに基づいて構成されたのだが、出来上がってみると、“物質に波動が付随している”わけではなく、その波動とは通常の波動ではなくて確率波なのであった。そして、その自乗は粒子の確率分布を表しているのであって、量子はそのどこかに“点”として存在している。

それならば、はじめから波動関数など追放してしまって、あくまで粒子の力学として量子力学を記述する方法はないだろうか?量子力学が決定論ではなく、粒子がどこにいるのか曖昧であって、“存在確率”がある分布をしているという性格は、粒子運動の揺らぎとして考えればいいだろうから、この粒子はブラウン運動している確率粒子力学として考えればいいのではないだろうか?粒子はジグザグ運動しながらドリフトしていく。そのジグザグ運動が量子揺らぎであって、ドリフトはやはり決定論的な力学によるのではないか?

そう考えた人は、過去かなりいたと思うが、そうした考えを抱いた人は、古典論好きの量子力学嫌いであったのかもしれないし、あるいは厳密好きの数学屋さんだったかもしれない。ところが、1966年、プリンストン大学のエドワード・ネルソンは、実際にそれを理論で実現させてしまったのであった。
このネルソンの確率力学あるいは確率量子化は、今日では量子化法の一つということになっているが、もとは古典的な粒子像へのこだわりがあり、波動力学は“波束の収縮”だの不明瞭な点が多すぎる、すっきりした猫像を得たいという動機があったのだ。

今回は、このネルソンの確率力学あるいは確率量子化法について、あらすじを書くことにしよう。まず命題を立てよう。

命題:あくまで粒子の運動という観点にたって、量子を記述するにはどうしたらいいか?

たとえば、溶液の中を溶液分子と衝突しながらジグザグ運動する古典粒子群は、ランダム運動する。ランダム運動した結果どうなるかといえば、拡散していくのであって、それは拡散方程式で記述される。拡散方程式は粒子密度の分布が時間とともにどう変わるかを表しており、ひとつひとつの粒子を追いかけるものではない。あくまで密度分布がどうなるかしか言っていない。
しかし、この拡散方程式は、ひとつひとつの粒子が溶液分子とランダムな衝突運動する結果として、成立するのである。

つまり、拡散方程式
           
           
は、粒子のブラウン運動を記述するランジュバン方程式と対応している。ランジュバン方程式は、粒子の位置をとし、ランダム力(白色ノイズ)をとしたときの次のような確率微分方程式に帰着される。

           
                
これは粒子の運動を記述する立場だ。こういうわけで、全体の分布関数を考える立場とひとつひとつの粒子のランダム運動を考える立場とは対応している。それならば、量子力学の波動関数とは、拡散方程式の密度関数のようなものであるから、粒子のブラウン運動を追っていく“粒子の立場”もあるのではないか?

実際、いま、一粒子のシュレディンガー方程式は、形式的に質量mを と置くと

                  (1)

となり、
と置けば、拡散方程式
           

に、ドリフト項(右辺第2項)を付け加えた形をしているではないか。なぜ拡散方程式のようになるかといえば、それは量子揺らぎのためであり、そもそも量子は、なにかエーテルの中を泳ぐ粒子のようなもので、たえずジグザグ運動をしているのだ。そのジグザグ運動による揺らぎこそが量子の本質であって、その他は古典粒子と変わらないのではないだろうか?

実際、拡散方程式でも、外力によるドリフト項を付け加えれば、(1)と同じ形になるのだ。つまり外力をとすると、拡散方程式を拡張したフォッカー・プランクの方程式となる。

                    (2)
                  
こうして(1)と(2)は対応するから、波動方程式を追放し、粒子の立場で一貫した確率力学ができるのではないだろうか?それは揺らぎを記述する確率微分方程式で記述されるだろうが、量子力学に変わりうるものになるのではないか?

ネルソンが実際そう考えたかどうかは知らないが、大体はそんなところだったであろう。とにかく彼は初心を貫き通してしまったところをみると、量子力学にまつわる“波束の収縮”といった“非論理性”が極端に嫌いだったようであり、それらの根源である波動性の追放を試みたのだった。それは、いま言ったほど簡単にはいかず、また物理の主流からは保守的なものと見なされ見向きもされなかったのだったが、一つのユニークなアプローチであった。

こんなことを書くと、量子力学に慣れた人は「そんなことは気にもならない」と思うかもしれないし、また「粒子の立場などと言っていたら、またアインシュタインの“局所性原理”に戻ってしまうぞ」と思うかもしれない。しかし、ここではひとまずユニークさを買ってネルソンの論理に従っておこう。

量子がエーテルの中を泳ぐ粒子のようにジグザグ運動するとすると、その確率密度分布Pはフォッカー・プランクの方程式に従うであろう。これを仮定し、その式中に入っている外力を後で決めてやるという考えを取ることにしよう。そうすると、

           (3)

となるであろう。ところが、ここで次のことに気づく。そもそもフォッカー・プランクの方程式は時間反転に対して対称ではない。ところが一方、シュレディンガー方程式は時間反転に対して対称だ。時間反転対称を持つということは、時間をさかのぼることができることを意味するが、拡散方程式などはもちろん対称ではない。拡散現象はプラスの時間経過に対して拡散するだけだ。だから、このままでは、確率粒子力学を作ろうとしてもできない。

そこでネルソンは、(3)を前方に対するフォッカー・プランク方程式とし、もう一つ、後方に対するフォッカー・プランク方程式を考えた。つまり、過去に向かってジグザグ運動するもので、それは、まだ分からないb*をもとに、後方フォッカー・プランク方程式は次の式で表されるものとした。

           (4)
         
(3)と(4)が成り立つと、時間反転不変性が成り立ち、これが運動学的制約となる。(3)は確率過程に対する確率微分方程式

                  (5)
対応し、(4)は
                 (6)
          
に対応する。量子揺らぎ(ジグザグ運動の大きさ)は質量のルートに反比例し、プランク定数のルートに比例するのである。

ここで、(3)と(4)を足したり引いたりして、 と置くと、(3)、(4)は
                        (7)
           
となる。(7)の上の式はなんのことはない、連続の方程式である。だからが速度に相当するものであることが分かる。そして下の式はからuが決まるという式である。

さて、ここで(またはb*)をきめてやるために、ネルソンは古典力学(ニュートン方程式)を適用することを考える。ランダム運動する確率過程にどうやってニュートン方程式を適用を適用するか。ニュートン方程式には1階微分、2階微分が必要だが、微分は存在しないのである。ネルソンは確率過程の微分(速度)というものを、ジグザグ運動の平均的なものと考えた。時間tとt+hの値のの差をとり、それを平均し、hで割って、極限を取った。そしてそれを平均前方微分と呼び、DXと書くことにした。
そして、tとt−hの差を取って平均し、hで割って極限を取ったものを平均後方微分と呼び、D*Xと書いた。さらに加速度を、平均前方微分と平均後方微分を組み合わせて、時間反転不変であるように、
           
          
と定義した。これによって、ニュートン方程式
                (8)
          
が成り立つと考えたのである。

これをb*に当てはめれば、ニュートン方程式は、
               (9)
          
となり、に変換すると、

                (10)
          
となる。これからが決まると考えたのである。

これをさらに、を消去してP、の方程式にすると、2個の連立偏微分方程式

                (11)
           
となる。これでほぼ終わった。これでP、を決めてやれば、確率過程(5)ないし(6)は決まる。

だが、本当にこれで量子力学に対応しているのだろうか。それを調べるためには、は速度だから、ハミルトンの主関数Sの空間微分で表されるのではないか、と見当をつけ、
           
          

と置いてみて、(11)をP、Sの連立方程式に変換する。すると、

                 (12)
            
となる。そしてPは確率密度だから、

                           (13)

ではないかと見当をつけて(12)を変数変換してみる。すると、

            
           
となって、1粒子のシュレディンガー方程式が出てくるのである!



ざっと荒筋を追ってみたが、この方法は量子の運動を視覚的なイメージで捉えられるという点でメリットはある。コンピュータを使えば、ランダム力(白色雑音)など簡単に計算できるから、コンピュータ向きでもある。といっても、もちろん1粒子問題であっても、確率微分方程式を数値的に1回計算すれば済むわけではなく、1回の計算結果では、単なる量子の運動の見本経路でしかない。しかし、コンピュータで多数回(原理的には無限回だが)計算すれば、その結果は波動関数による確率分布と一致していくはずである。
実際、そうなるだろう。

だが、粒子像でいくとなると疑問を感じる人は多いのではないだろうか。こういう粒子像では波の干渉、たとえばヤングの2重スリット実験の干渉模様は出てくるのだろうか?電子でも干渉縞は出てくるはずだが、こんな粒子像では出てきそうもない。またトンネル効果は出てくるのか・・など。

逆に波動像では、2重スリットの縞模様は理解しやすい。波だから、両方のスリットを通ることができ、それが干渉しあって、干渉縞ができる。波動像ならなにも困らない。ところが粒子像では困るのである。粒子像では両方のスリットを通るという離れ業ができず、どちらか一方を通ることしかできないからである。

誰もがそう思う。ところが、不思議なことにちゃんと干渉縞はできる! 1回の計算ではできないが、多数回計算してやれば、その軌跡のグラフに密度濃淡が現われ、その濃淡が干渉縞なのである。(右下の図でX軸S1のところがスクリーン。電子の存在確率が高いところが濃く、低いところが薄くなる)
その条件は、多数の電子のうち、約半分が片方のスリットを通り、他の半分が他方のスリットを通るという条件である。
不思議なことだが、上で書いたように波動方程式が出てきたのだから、一致するのは仕様がない。やっぱり電子はどちらかのスリットを通るのだ(^^)。
(だが、両方のスリットがなくてはならない。片方だけでは駄目である)

それでは、今度はトンネル効果は出てくるだろうか?それも出てくる。粒子像では井戸型ポテンシャルの井戸に跳ね返されるが、計算を多数行うと、中には跳ね返されながら、たまに筒抜ける粒子が出てくるのである。このトンネル効果の方は量子揺らぎがあるから理解できそうな気がする。


今度は"原子核を回る”電子はどうだろうか?これも多数回計算すれば、よく見るような電子分布に似たものが出てくる。

そうしてみると、ネルソンの確率力学はコンピュータ向きだと思えるかもしれないし、あるいは反対に、多数回計算するなら、はじめから波動方程式を解かせた方がいい、と思う人もいるかもしれない。それは、いろいろだろうが、原理的な面白さはある。

だが、問題もある。というのは、これをスピンのある相対論的量子力学あるいは多体問題に拡張するのは困難であり、誰かが成功したという話も聞かないからだ。それができなければ、“古典力学は普遍的に成り立つのだ”といってみてもなにか迫力がない。それよりも「古典的な関係を演算子に格上げする」通常の正準量子化の方が説得力がある。その「格上げ」はハミルトンの主関数SからΨへの移行を意味するからであり、その方法で相対論的クライン-ゴールドンの方程式も得られた。

ただ、確率量子化という概念だけはその後も受け継がれた。ネルソンの方法とはまったく別種の確率量子化の方法が発明され、場の量子論の計算に活用されているのである。それについては、またの機会にしよう。



またまた【嫌味な問題】
2重スリットの片方を閉じて100個電子を当て、その後、他方のスリットを閉じて100個電子をあてた場合、ネルソンの方法で干渉縞はできるか?



(参考)原論文を読みたい人は、
Derivation of the Schreodinger equation from Newtonian mechanics
E. Nelson
Phys. Rev. 150, 1079-1085 (1966)

(注)図は保江邦夫『EXCELで学ぶ量子力学』の付録で書いた。